26万円前後!
メーカー | 豊田自動織機 |
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勤務した工場 | 愛知県刈谷市碧南工場 |
期間工として働いた期間 | 2014年1月〜2014年6月の6か月 |
期間や目標を決めて始めることが大切だと思います。
仕事内容はとても大変ですし、どこに配属されるかはまったく希望通りにならないので、運も大切ですが、やはり目標がないと、仕事のモチベーションを保つことができず、仕事を続けることができません。
実際に1ヶ月たつ前にやめてしまった仲間もたくさんいました。
何があってもやめないという気持ちや、覚悟をもって挑戦するといいと思います。
ただ確実にお金がたまるので是非おすすめしたいです。
期間工で働く前はバックパッカーとして世界中へ
大学卒業後バックパックで世界中を旅している最中にこの仕事についたので、期間工の前は色々な国で生活していました。
旅のスタイルとしては日本で仕事をして海外で何ヶ月か生活するという形でやっていました。
そんな旅を続ける中で、やはり海外生活には日本で生活するよりも多くの出費がありました。
そこで、効率よくお金を稼ぐにはこの期間工の給料面での魅力はとても大きなものでした。
もともと次の予定していた国であるインドに行くための資金集めとして始めました。
たまたまインターネットで期間工の存在を知る
まずこの仕事を見つけたきっかけというのは、短期間で大きなお金を稼ぐことのできる仕事を探していたときに、たまたまネットで見つけました。
そこからは半信半疑で紹介してくれる会社へ足を運んだのですが、そこで登録と同時にその工場へ行くことが決まり、考える間も無く仕事が始まりました。
1番の理由はインドに行くための旅費を稼ぐということを目的として、1番効率よくお金が稼げると思ったので、やってみようと決断しました。
情報収集は特に行わず決めた
情報収集はあまりせず、勢いで飛び込んだ紹介してくれる会社の言うまま流れに乗って仕事を得ることになりました。
トヨタの名前を見た時にすこし安心しました。勤務地に関しても私はとくにこだわりがなく、1番大切だったことはお金を貯めることだったので、選ぶつもりはありませんでした。
しかし愛知には友人も多く、休日など遊んだりできると思ったことも、1つ決断の理由にあります。
やはり仕事だけが人生ではなく、休日にできることも大切だと思いました。
ネットで「短期」「高収入」と検索して求人を探す
まずネットにて、短期、高収入、と検索し出てきたところから数件アポイントを取り、実際に話を聞きにいきました。
ネットで探すよりも例えば、人材派遣会社などは、会社によってそれぞれ内容や雰囲気が大きく違うこともあり、その後の仕事のことを考えると、実際に会いに行って話を聞くというのはすごく価値のあることだと感じました。
また話を聞くときに意識したことは、どれくらい稼ぐことができるか、具体的な数字をしっかりと聞くようにしました。
選考内容はSPI、小論文、面接
テストは最初に簡単なSPIテストのようなものを受けました。
それから小論文のような、質問に対しての自分の意見を書くというものもありました。
それから面接をしました。
どれも簡単なもので、速く終わりました。
面接では自分が過去にやってきたことや、得意なこと、長所短所など基本的な質問から、自動車について、また会社についての知識はどれくらいあるかなども聞かれました。
ここはあまり準備していなかったのですが、特に大切なことではないように思いました。
担当業務は梱包作業を担当
勤務時間は朝から夜までと、夜から朝までの2パターンあり、これらを2週間ずつの交代で勤務していました。
最初の2週を朝のシフトでこなし、次の週からは夜のシフトを2週というような形で働きました。
作業内容はできあがったエンジンの梱包作業で、機械を使っておこなうものでした。
リモコンを使ってエンジンを持ち上げるアームを操作し、綺麗に並べて、梱包するという仕事で、スピードはとくに大切ではなく、綺麗にミスなくやることが重要でした。
梱包には薄いビニールのシートを被せる作業がありました。
この薄いビニールには何か粉がついていて、目に入るとごろごろした不快感が感じるのですが、この作業が非常に大変でした。
素材もすこし滑りやすく、大変でした。
寮は個室部屋のトイレ、風呂共有型
寮は工場からバスで20分ほどのところにあり、勤務時間の前の決まった時間に全員で乗り込み、出勤していました。
部屋は1人部屋で、4部屋が1つの家の中にありました。
部屋にはテレビや冷蔵庫など基本的なものが揃っていましたが、トイレやお風呂は共用でした。
さらにお風呂に関してはすこし離れたところにあり、毎回移動しなければいけませんでした。
それから食事についても毎月定額を払って朝食と夜ごはんを食べることができました。
先輩も優しく、同僚たちとも仲良くなれた
先輩は皆さん長く勤務されているかた達で、優しい人が多かったように思います。
よく声をかけてもらったり、仕事でミスしてもカバーしてくれたり、非常によくしていただきました。
部屋の同居人もすぐに仲良くなることができて、仕事終わりに部屋で飲んだり、休みの日に遊びにいったりするような関係ができました。
職場にはあまり女性の姿は少なかったように思います。出会いはあっても、寮は違うためあまり出会いや、仲良くなるきっかけはありませんでした。
休みの日は月1回外出する程度
近くにはほぼ何もなく、歩いて10分のところに漫画喫茶があるのみでした。
買い物など行きたい時は1度街に出なければいけなかったので、月に1度くらい外出するだけでした。
しかしわたしにとってこの期間はお金をためる期間だったので、いつもはだいたい部屋にこもって、読書か、パソコンで調べ物をしたり、動画を見て時間をつぶしていました。
隣の部屋の仲間とも仲がよかったので、休みが合う日は、部屋でお酒を飲んだりしました。
慣れるまでは時間をかけるしかない
深夜の勤務はやはり最初の2週間は慣れず、勤務中に眠たくなったり、辛かったです。
生活のサイクルが慣れるまでは、気分が優れなかったり、食欲もでなかったりして、何か対策をできないかと考える毎日ですが、結局終わってみて感じたことは、時間をかけて慣れていくしかないということでした。
寮に関してもお風呂、トイレが共有であったり、そのお風呂がすこし遠くにあったりしたことも、多少不便を感じた点です。
バスがいつもいっぱいだったことも不満です。
未経験でも3か月で100万円の貯金が実現
私にとって1番良かった点は、短い期間で高額な給料をいただくことができたという点です。
たった3か月で100万円貯めることができました。
また初心者として入ったにも関わらず、無理なくこなせる仕事内容であったり、良い上司との出会いもありました。
それから同じ部屋で出会い、過ごした良い仲間がいたことです。
仕事を続けることが辛くなっても、仲間がいることで、辛いのは自分だけではないと思えて、気持ちが楽になったり、休日も充実したものとなりました。
仕事の内容も自分にとってとても新しく面白く感じました。
簡単でシンプルな、誰でもできる仕事ですが、そこにはしっかりと責任もあって、そういったポジションをまかされたこともやりがいに繋がっていたと思います。
まずは目標達成できて良かったです。
諸手当が出ないシフトが原因で辞めていく人も
周りに契約満了前に辞めた仲間はいました。
まずこの仕事では最初に何パターンかのシフトが割り当てられるのですが、運悪く朝だけのシフトになったりすると、深夜手当てや、交代手当てといった手当てがうけられず、単純に月収がそこまで高くならなかったということがあります。
わざわざ工場へ来て大変なことをして稼ぐ給料にしては安いと誰もが思ってしまうような環境があったため、それよりも良い条件を求めて他へ出て行く人がいました。
満了後はインドへ旅立つ
私の場合は仕事は探さず、インドに旅にでました。
インドから帰ってからのことは、またそのときに考えようと思い、まずは目標だったインドへの旅の準備を始めました。
インドにいる間に、次の予定を考えていたのですが、たまたまできた友人の紹介で仕事をもらうことができ、次はオーストラリアに行くことになりました。
特に自ら仕事を探していたわけではなく、この時はたまたま友人が紹介してくれて仕事が決まりました。
その後オーストラリアで仕事を始めることになります。
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