37万円前後!
メーカー | アイシン(アイシンAW) |
---|---|
勤務した工場 | 愛知県安城市第一工場 |
期間工として働いた期間 | 2015年9月〜2017年8月の2年間 |
期間工というと期間限定でしか働けないので次を考えなければいれないのは間違いありません。
年齢が若ければ正社員登用されることもありますが、30歳を過ぎているととても難しくなってくるでしょう。
しかし社会的な信頼と期間をきちんと満了して退職すると直ぐに失業保険が給付されるので、当面は生活費の心配をしないで仕事を探せるのはメリットがあります。
また期間工であっても大手の会社に就職できたことは転職時にもとても有利になるので、期間工だからと諦めないでやってみてもいいと言えます。
勤め先が倒産で、その後派遣社員で点々と過ごす
地方の普通高校を卒業して大阪の鉄工所に知り合いの紹介で就職しました。
作っていたのは産業機械で鉄材を切断して溶接したり、金属の塊りを工作機械を使って図面通りに加工する作業に従事していました。
住み込みだったのでそれほど生活費がかからず、給与はそんなに高くなかったのですが生活は楽でした。
2年ほどして自分でアパートを借りて住みだし、それからその工場に15年ほど働いていましたが、倒産のため失業しました。
それからは年齢的な問題と製造業で働きたかったので派遣社員で工場を転々としていました。
地元大阪を捨て、愛知県のアイシンAWの期間工で働くことを決意
派遣社員を続けていましたが大阪では派遣紹介してくれるところがなくなり、別の手段がないかとネットで検索して期間工をしりました。
期間工であれば年齢が多少高くても受け入れてくれるくれるところが多く、別の業種に行く気持ちが無かったので期間工を前向きで考えるようになります。
待遇面でも派遣とは比較にならないほど高く、自分の年齢でも受け入れてくれるのは大阪にはなく愛知県などの東海地方でした。
大阪に愛着はありましたが仕事がなくて遊ぶより遠方でも仕事がしたいと考えてアイシンを受けてみることにしました。
工場ワークスで候補企業を比較
ネットで工場の求人について調べると「工場ワークス」というサイトを知り、そこでなら細かな情報も入手できるので活用しました。
そこで給与がとても高く、しかも年齢が高くても採用率がとても高いという情報が出ていたので、他にも候補がいつくもありましたがアイシンを第一候補にしました。
勤務地は愛知県のどこかの工場となっていましたが、ほとんどの期間工は安城市の第一工場になっていて、そこなら大阪にも帰省しやすいので好都合なので選びました。
派遣会社「Man to Man」経由で、応募もスムーズに
「工場ワークス」ではそのまま応募もできて、個人情報を入力すると求人の窓口になっている「マンツーマン」という派遣会社が対応してくれました。
応募すると翌日の午後に派遣会社から電話連絡がきて、正式な履歴書をFAXで送付して欲しいというのでその通りにしました。
その翌日に再び派遣会社から電話が来て、一度愛知県に来て面接登録会に参加して欲しいと言われ、指定された日に愛知県に行きました。
応募の流れを丁寧に説明してくれてスムーズでしたし、大阪から愛知までの交通費も出してもらえました。
僕が使った期間工.jpは、アイシンの入社祝い金が高いことが多いですよ!
選考内容は簡単なペーパーテストと実技試験と面接
派遣会社では簡単な国語と一般常識のペーパーテストを受け、それから手先と判断力を見るために一分間でネジにボルトを何個いれられるかというテストがありました。
その場にいた全員のテストが終了して30分くらいするとアイシンへの最終面接者が発表され、そこに自分も残りアイシン本社での最終面接を受けました。
そこでは100人以上の人が集められ、一人10分程度のアイシンの人事担当者と今までの経歴やスキルなどを聞かれ、全員が面接を終了して合格者が発表され受かりました。
配属先は機械加工と検査を担当
配属されたのは部品の外周にあるいらない部分を専用の加工機に投入して削り、それを後工程に流すというものです。
そこは削った部品の検査の併設して行っていて、機械加工と検査をシフトによって行っていました。
時間当たりに加工しなければいけにい個数が決まっていて、慣れないうちは体が動かずに苦労しました。
検査もなれないと見落としかが多く、マスターするまでには時間がかかり苦労しました。
勤務は月曜から金曜までで、日勤と夜勤の二交代制で一週間ごとの交代勤務です。
時間は日勤が午前八時から午後五時までで、夜勤は午後十時から翌日の午前七時まででした。
残業は夜勤の時はないのですが、日勤では二時間残業が通常で繁忙期には三時間まで行いました。
寮はトイレ、部屋単独、風呂の共同タイプ
寮は三人一組で一室をあてがわれていて、部屋は単独でしたがトイレや風呂は共同になっていました。
場所は工場から離れた住宅と畑の中といった場所にあり、周囲には商店などないといった状況でした。
寮は築年数があって見るからに古く、設備は取り換えられていましたが20年以上は超えているように見えました。
寮から工場へは直通のバスがありましたが、自分がいたのは一番離れた寮だったので片道で30分程度はかかっていました。
40代以降の男性期間工が多くいた。その反面、社員は20代が多い。
期間工の人は若い人は数名ととても少なく、ほとんどが自分と同じような40代以降の男性ばかりで話とかはあって良かったです。
その反対に正社員の人は若い人ばかりで、職長だけが40歳程度の男性で後の人は20代男性ばかりでした。
女性はその部署には一人もいなくて、別の検査工程や事務関係のところに少しいた程度で建物内ではあまり見かけませんでした。
自分が入ってから人がいなくなれば補充するという形式であまり変化がなかったです。
同室の人の生活音で休息時間に苦しむ
寮にいると他の人と一緒になって気を使うのでできるだけ出るようにしていました。
しかし公共交通機関が一時間に二本程度しかない乗り合いバスだったので、ほとんどがタクシーを呼んで出ていました。
車で15分程度走ると繁華街にでるので、そこで過ごしたり電車に乗って名古屋あたりに出たりしました。
夜勤明けの場合は眠気が酷いので出る気がせずに寮にずっといましたが、同室の人が動いたりテレビを見たりしてどうしても生活音があるため、満足には休めなかったです。
残業と休日出勤が多く、断りづらい環境であった
仕事の内容そのものは今まで行ってきたようなことばかりであり、車体の組み立てといった重労働ではなかったので辛いことはありませんでした。
ただし残業と休日出勤が多く、強制ではないので断ることも可能なのですが、他の人がほとんど出るために休みにくい雰囲気はあります。
アイシンでは残業する前に軽食を出してくれるのがとても嬉しく、夜勤に関しては常に定時で帰れるのは良かったです。
繁忙期になるととにかく残業がとてつもなく多くなるのだけは嫌でした。
派遣社員時代と比べると、差別もなく手当も手厚い
派遣社員ではいろいろなとで社員の人と区別されてしまい、それが差別のように感じて嫌でしたが、期間工ではそんなことがありませんでした。
待遇も多くの手当てがついていて、基本給と残業時間だけしかないという派遣とは違っていたのも満足しています。
それに期間工の場合は満了すると直ぐに失業保険給付の対象になり、アイシンの場合は直ぐに離職票を発行してくれるので助かりました。
ちゃんと辞めると退職してからも誘いの話がきたりして、実際には行きませんでしたが嬉しかったです。
また在職中はアイシンの直接雇用ということで社会的な責任が持て、いろいろとメリットがありました。
派遣社員ではどうしても社会的な信頼がないため、期間工という期間限定であってもやってみる価値はあります。
そのため、失業保険がすぐに支給されるため、就職活動はゆっくりと焦らず活動できるというメリットがありますね!
退職理由は様々だが、仕事内容や人間関係で悩む人は少なかった
何人か期間を残して退職していきました。
理由を聞くと最初から働く期間を決めていたというひとが多かったのですが、中には寮の環境が気に入らないという人もいました。
また残業時間が多いので体力的に持たないという人や次の仕事が決まったからという人もいました。
特徴としては仕事の内容や人間関係で退職したような人はおらず、そこはアイシンという会社が配慮していたからだと思います。
職長や正社員の人がいろいろと気を遣ってくれて、仕事環境は良かったです。
失業保険のおかげで、じっくりと求職活動ができた
しばらくは失業保険で生活しながら製造関係の正社員の仕事を居住地の大阪で探しました。
愛知県は別に悪くはなかったのですが、やはり大阪の方が愛着があったので、再び出て行くことは考えませんでした。
しかし年齢が50歳近いということで製造関係では仕事がなく、そこで全くの畑違いでしたが年齢的にも雇用してくれる物流関係の仕事に就職できました。
失業保険が満額で出たので、ゆっくりと時間をかけて求職活動ができたのが良かったと思います。
KuuPooさんが稼いだアイシンの解説記事はこちら!
アイシンで働いた他の期間従業員の口コミ