約28万円!
メーカー | アイシン機工 |
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勤務した工場 | 愛知県刈谷市刈谷工場 |
期間工として働いた期間 | 2015年4月〜2016年3月の1年間 |
体力と健康に問題がなければ、比較的お勧めできる現場です。
また部品組み立てなど専門のスキルを伸ばせる部署もあり、後々仕事していく上でも通用するものもあるでしょう。
自分は自宅からの勤務でしたが、寮もあるので長期に渡って勤務できる体制は整っています。
あとは安全については特に自主的に勉強しておくことが大切です。
現場でも安全確認については非常に厳しく忠告がありますが、忙しい時期にはおろそかになったり、安全の教育が足りなかったりします。
そこをフォローできるのは自分だけしかないということがあるため、特に気を付けてください。
目次
短期の人材派遣で働くも金銭面が悩みだった
アイシン機工の期間工を行う前は、短期や単発の人材派遣で働いていました。
その時は倉庫のピッキング作業など、さまざまな現場に足を運んで業務を行っていました。
当時は就職難であり、かつ高校卒業程度の学歴しか持っておらず、非常に厳しい日々を過ごしていました。
人材派遣会社は比較的、時間的な自由が利くのですが、なかなか家賃も払い切れれなかったり、税金も滞納してしまったりと金銭的な問題が日々を圧迫していきました。
なので、その問題をどうするのかに頭を悩ませていました。
税金も支払ってくれる期間工はありがたい
あるときに人材派遣会社から、期間工のお話が届いたことがあり、その時はスケジュールの問題もあって断ってしまったのですが、仕事の興味は持ち続けていました。
生活費や税金の問題が頭を悩ませる時期が長かったため、その問題を解決するために一度企業と仕事したほうがいいと考えたからです。
企業側が税金の支払いなどもやってくれることは大きかったです。
人材派遣の仕事に一度区切りをつけた後に、地元に近いアイシン機工が期間工を募集しているのを見つけ、応募したことが仕事の始まりです。
通いやすいように生活圏内の工場を探した
働く工場については「期間工」というワードから、インターネットで大まかな情報収集を行いました。
当時住んでいた場所から近くて通いやすかったことや福利厚生などを見て、アイシン機工の刈谷工場を選びました。
特定のメーカーだから働きたいというよりも、まずは自分の生活圏内で仕事が可能であるかどうかを重視していました。
また、続けやすい環境であるかも加味して、勤務地を選んでいました。
評判が悪くはなかったことも選んだ決め手のひとつです。
面接では長く続けられそうかを見られた
面接では清潔な格好で向かいました。
やはり自動車関連工場での勤務ということもあり、主に体力は大丈夫か、いままでに大きな怪我や病気になったことがあるかを中心に聞かれました。
もちろん、自分のコミュニケーションの態度も見られていたと思いますが、どちらかと言えば怪我をしないか、続けられるかを主に見られていたと感じました。
そのため、先方の要望に沿うように、体力や健康に関しては問題がないことをアピールしていました。
初めての業務は正直怖かった
自分が自動車関連工場での業務がまったくの未経験だったこともあり、まず最初に鋳造の現場から入ることになりました。
これはアルミや鉄を溶かして、自動車の部品を作る部署であり、初めて関わったときには、正直なところ危険で怖い印象もありました。
先輩方の話をよく聞いて、特に安全には気を付けていましたね。
最初の3か月程度は鋳造の業務を行っていましたが、逆に慣れてきたところが危ないことがありました。
また、人材が足りない時期もあったため、急遽として鍛造の現場でも作業していることは多かったです。
こちらは主に金属をハンマーなどで叩いていき、強度をあげていく作業でした。
やはり肉体を酷使する現場でもあったため、初期には筋肉痛にも悩まされたほか、7月や12月ごろは若干残業も多くなったことも大変でした。
自宅にも臭いが残るほど油臭がすごい
刈谷工場へは自宅からの勤務だったため、比較的慣れた感じで通勤をしていました。
主に自転車で通える距離だったため、通いやすかったのは確かです。
ただ業務が業務のため、どうしても汚れた状態で帰ってくることが多く、また機械油の臭いなども付着してしまうので、その点をどうするのかがいつもネックでした。
自宅に職場の臭いが付着していくというのはなかなか大変であり、時には夢のなかでも鋳造の作業をしていた記憶があります。
工場内には同世代(20代後半)が多かった
比較的、同世代の工員が多かったこともあり、それが良くも悪くも人間関係に影響がありました。
同世代ゆえに話しやすいというのがあったんですが、一部の工員は正規雇用されていることと期間工とで差をわけて考えるような、考えの浅い人物がいました。
工場は比較的クローズドな場所なので、職場の悪口というのが溢れがちになるんです。
その点が長期に勤務していく上で面倒になっていったのは確かです。
良い関係と紡げる方と、悪い印象を持つ方と極端にわかれていましたね。
休日は油の臭いがないところへ避難
どうしても工場の音の激しさや、機械油など独特の臭いに満ちた現場で日々過ごしていると、休日はそこから一切離れた場所で過ごしていることが多かったです。
主に映画館へ行ったり、遠出して海へサーフィンへいったりしながら、うまく休むようにしていましたね。
また、忙しい時期での休みでは、全身が疲れ切っていて一日寝てばかりになってしまうということもあり、今度は精神的な疲労が取れないというフラストレーションがありました。
勤務時間が決まっていることが苦痛に
私は前職が人材派遣会社という、ある程度自分の裁量で仕事を入れることができる現場で働いていたこともあり、どうしても毎日同じ時間に勤務していくということが大変でした。
当たり前のことではあるのですが、だんだんとそれがつらくなってきたのは確かです。
また、忙しい時期には肉体的な疲労と精神的な疲労のふたつが溜まってしまい、大きなストレスを抱えたまま、心を真っ白にしながら業務を続けていくことが苦しかったです。
期間工のおかげで車に詳しくなった!
期間工として働いて良かったこともあります。すごく単純なことではあるんですが、仕事をしていく中で自然と自動車の構造について熟知していけるというのは後で役に立ちました。
車で問題が起きた時に、どの部分がどのようにして機能しないかということが比較的、イメージしやすくなるのは確かです。
なので車で旅行していたり、日常で運転していたときに故障があっても、冷静に対処できるようになった、というのが期間工をやって得た良い部分です。
またどんな仕事を行うときにも安全確認には嫌というほど気を付けるようになりました。
やはり工場でケガをする方は時々出てしまうため、遠めからそれを見ていて怖くなったということはあります。
すこし怯えすぎというくらい、気を付けるようになりましたね。
厳しい業務内容で辞めてく同期もいた
満了前に辞める人は、同時期に入った方でひとりいましたね。
その方は自分とは違う部署で仕事されており、詳しいことはわからないのですが、厳しい業務だったことは確かです。
最初に厳しい時期が7月の忙しい時期であり、そこでその方が急に欠勤するようになり、職場がすこし動揺していました。
そのうちに来なくなり、あとで退職した旨をうかがいました。
原因は難しいところですが、当時人材も少なく、まだキャリアも浅い方でも大きな労働量になったこと、そしてそれを捌き切れず、身体を壊してしまったことが大きいと考えます。
期間工後はメンタルを考えて仕事を選ぶ
期間工としてある程度まとまった貯金ができた後、3か月ほど休んでから、以前とは違う人材派遣会社に登録し直し、今度は自分の裁量で仕事ができる環境に戻しました。
特に精神的な面で苦労してしまうということを避けるために、休みたいときに休めるという環境で仕事ができるように切り替えていきました。
また、機械油の臭いなどがあまりしないような現場を人材派遣会社さんに回してもらえるようにお願いしていたこともありました。
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