25万円!
メーカー | ダイハツ |
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勤務した工場 | 滋賀県蒲生郡竜王町 滋賀第二工場 |
期間工として働いた期間 | 2014年1月~2016年11月の2年11ヶ月 |
この仕事はほぼ「体力勝負」です。
そして作業を自分なりに効率良く改善できる「ずる賢さ」が必要です。
以下に体力を使わずに、上司先輩から指摘を受けない程度に手を抜く作業。
そして何より「品質」が重視される現場なので几帳面な方が向いていると思います。
やる気と体力があれば誰でもできる仕事です。
県外から貯金目的で来る人もたくさんいました。働いたら働いた分だけ満了金は多くもらえます。それはモチベーションにも繋がります。
是非頑張ってくだい。
整備士の国家資格を得るほど車好きだった
子供の頃から車が好きで、食事より車のことを考えているような学生生活をおくりました。
高校を卒業後、自動車整備士になるのが夢で自動車整備士の専門学校に進学しました。
バイクを購入し、エンジンまで自分で整備するほど熱中していました。
整備士の国家資格を所得し、メーカー系の自動車販売店へ就職。
社会人1年目で学生の頃から付き合っていた彼女と結婚しましたが、サービス残業が多く拘束時間と賃金が見合わず2年目の時に退職しました。
満了金に惹かれて期間工に応募
期間従業員を知ったのはwebの求人サイトで、次の就職先を決めるまでの「つなぎ」のつもりで応募しました。
当時金銭面に困っていたこともあり、すぐ採用され働ける職場。日給8800円スタートで夜勤手当と休日出勤手当が出て、残業代もしっかり出る。
そして一定期間働くと退職金のような「満了金」が出るということで応募しました。
製造業界にも興味があり、工場で黙々と働いてみたかったのと、自動車の製造なので楽しく働けるだろうと思ったのも応募した理由です。
安定して仕事が入りそうな「ダイハツ」を選んだ
期間工の情報収集はインターネットを利用しました。
滋賀県在住で、小学校の時にダイハツの工場見学があり感動した覚えがあり、滋賀に工場があることは知っていました。
インターネットで検索するとちょうど応募していました。
自宅から車で50分ほどかかる場所でしたが、寮に入るのは家族がいるので自宅から通える職場だったので応募しました。
そしてダイハツは、軽自動車大手のメーカーで安定して仕事があるだろうと思ったのも理由の1つです。
派遣紹介会社にサポートしてもらった
インターネットで「ダイハツ 期間社員」で検索するとヒットしてきたのがダイハツ工業の公式応募ページで、そこから応募しました。
派遣紹介会社を仲介して採用までサポートしていただけました。
電話で詳細を問い合わせすると、履歴書を用意してほしいと説明があり、後日担当の方が自宅近くまで来てくださり履歴書の確認、応募という流れになりました。
担当の方の營業車内でやりとりしました。
そこで何度も説明されたことは「体力的に厳しい現場」ということでした。
筆記・面接以外に簡単な身体テストもあった
筆記テストと面接はダイハツ工業本社でおこなわれました。
筆記テストは中学生でも解けそうな数学、国語、英語でした。
中には足し算引き算もあり、一般的な学力があればまず問題ないと思います。
筆記テストの後に簡単な身体テストがあり、前屈、屈伸、手のひらの動きをチェックされました。
面接では、自己紹介と希望理由、職歴を聞かれました。
ですが重い空気ではなく、面接官もとても軽い印象でした。
そこで何回も言われたことが、「体力があるか」と「すぐやめる人が多いが大丈夫か」ということでした。
とても厳しい現場ということを説明されました。
腱鞘炎にもなったボルトを締める作業は大変
勤務形態は2交代で、昼勤1週間、夜勤1週間のサイクルでした。
昼勤は08:00〜16:40、夜勤は20:45〜05:35です。
月の残業時間は多くて20時間、少ないときは5時間程度でした。
私の作業内容は右のリアドア取り付け工程で、機械を使いドアを取り出し車両に寄せ、ボルトで取り付けるというものです。
ドアは重いですが持ち運びに機械を使っているのでそれは感じません。
しかし、1日同じ動きを何百回と行うのでなれるまでは筋肉痛との戦いでした。
エアーインパクトでボルトを締め付けるので、手も腱鞘炎になり大変な思いをしました。
ラインのスピードも速く、慣れるまでは何度もラインを止めてしまい辛い思いをしました。
こういった事もあり、入社してすぐ辞めてしまう人が多くいました。
寝坊した時は高速道路を使って出勤
私は結婚して家族がいたので寮ではなく自宅から通勤していました。
自宅は大津市で職場は竜王。距離は片道30km程。車で50分ほどかけて通っていました。
家が山の上にあり、車がないと厳しい立地です。
車が必須なので、スポーツカーを所有していましたが妻も運転できるよう、維持費の安いダイハツの軽自動車に乗り換えました。
間取りは3DKのアパートで妻と2人暮らしで猫を1匹飼っています。
大津インターチェンジがすぐ近くにあるので、寝坊してしまった時は高速道路を使って竜王まで通勤していました。
正社員のグループができていて雰囲気は良くない
人間関係はあまりよくなく、友人もできませんでした。
正社員の人たちは、全員そうではありませんが期間社員や派遣社員に冷たい人が多かった印象です。
正社員は正社員、非正規は非正規でグループができていました。
上司も非正規の人間には冷たい人が多かったです。
中にはパワハラが酷い上司もいました。社員を怒鳴りつける。部品を投げつける。工具で暴力をふるうなどひどい有様でした。
さすがに問題になり、他の工場に飛ばされていましたが、社内全体がピリピリした雰囲気で、怒声は当たり前の職場であまり良い雰囲気ではなかったです。
休みの日は外出でリフレッシュ
休日は趣味のドライブをしたり、バイクでツーリングをしたり、キャンプをしたり、カフェ巡りをしたり主にアウトドアの過ごし方をしていました。
仕事に慣れないうちは疲れで一日家で過ごすことも多かったですが、慣れたら外に出る方がリフレッシュになりました。
子供ができてからは、まだ赤ん坊なので遠出はしなくなり、家でお世話したり、ベビーカーに乗せ近くの公園まで散歩したりしていました。
それも家族と過ごす時間でリフレッシュできました。
期間工だけでなく正社員も辞める人がいた
働いていて辛かったことはやはり体力面です。
まだ20代なのでなんとかやっていましたが、歳をとると厳しい仕事だと思います。実際正社員の方でも辞めていく方が多くいました。
それと人間関係です。職種柄、体育会系の方が多くパワハラが当たり前となっていました。それが原因で気を病む人もいました。
仕事のやりがいもあまりありませんでした。「できて当たり前」な仕事だったので上司からの評価もいまいち得られないものでした。
2年11ヶ月で300万貯金できた!
期間工として働いて、体力的にキツい仕事だったため体力と筋力がつきました。
毎日同じ作業の繰り返しなのもあって忍耐力もついたように思います。
一番大きかったのは貯金ができたことです。
手取りで25万円。多いときには30万円あったのと、契約満期まで働いたので満了金が200万円入り、2年11ヶ月で300万円貯金できました。
前職では考えられない事だったので、良かったと思います。
それと、自動車の製造の現場で働けたことは、車好きとしてはとても良い経験でした。
自動車の仕組み、パーツ、組み立て工程を実施に見ていたのでどれもが新鮮で楽しかったです。
街で走っているタントやムーブを見るとついつい誇らしくなってしまいます。
自分が手がけたものが街で活躍しているのをみると嬉しくなり、この仕事をしていてよかったなと思うこともありました。
契約満了まで働いたのは自分だけだった
契約は2年11ヶ月ですが、満了まで働ける人はひと握りです。
それは体力、精神面での厳しさが大きいと思います。
早い人は1日目でいなくなったりもします。
無断退職し寮から逃げる人もいます。
同じ時期に20人ほど入社しましたが、契約満了まで働いたのは私だけでした。
いくらいい給料と福利厚生を受けれても、様々な人がいましたのでそれだけ厳しい現場なのです。
あと県外から来る人がほとんどで、知らない土地、人間、環境になかなか馴染めず、すぐ地元に帰る人も多かったです。
期間工の経験を生かして別の製造会社の正社員に
契約満了で退職してから2ヶ月ほど就職活動を行い、別の製造会社に正社員で入社しました。
実はダイハツ工業の正社員試験を2回受けたのですが、落ちてしまいました。
年に1回チャンスがあるのですが、工場で3人~5人しか枠が無く、運悪く採用されませんでした。
筆記試験や面接があるのですが、それは正直あまり重要ではなく、重視されるのはいかに「上司から気に入られているか」です。
ゴマすりが上手な人間が正社員になっていくのを何度も見てきました。
ですが私は体力的に長く続けられる仕事ではないと感じていたので、転職して正解だったと今は思います。
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