28万円!
寮費も無料
メーカー | 日野自動車 |
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勤務した工場 | 東京都羽村市羽村工場 |
期間工として働いた期間 | 2016年4月〜2017年11月の1年と8ヶ月 |
僕も「高収入」という謳い文句に期間工業界に入った内の1人ですが、まずはじめに気になるのが「本当に高い給料をもらえるの?」っていう疑問だと思います。
結論からいうと本当に稼ぐことができますが、対価として作業内容はそれなりにキツイです。
ですがお金を稼いだその先に自分のやりたいことに繋げられる人なら難なくこなせると思います。
とは言っても応募する前に基礎的な体力を走ったりして付けておくことをおすすめします。
通信制高校卒業後、現場作業員として働いていた
期間工になる前は鉄筋工の現場作業員として働いており、親と兄弟と自分の4人家族で実家で暮らしていました。
その時の暮らしぶりですが、平日は朝8時から夕方の5時まで仕事をし、そこから帰宅をして寝る。といった至って普通の勤務内容と生活でした。
また学歴についてですが、通信制の高校を卒業しておりそのまま就職したので大学には進学しておりません。
学んだ内容は特に専門的なものはなく、常識範囲内の教養を得ることができました。
期間工を知ったきっかけはGoogleでの広告
もともと現場作業員をしていた時から給料面に不満があり、「月30万 仕事」とグーグルの検索窓に打ったらアウトソーシング社の広告が出てきたのが期間工の仕事を知ったきっかけでした。
他の仕事と比べて給料がいいのは周知の通りだと思いますが、労働量が多く大変なのは想像がつきました。
ですが日頃から外仕事でのハードワークに慣れていたので「自分でもできるのではないか?」と思い給料面も魅力的だったので応募に踏み切りました。
日野期間工に決めた2つの理由
情報収集は主に2チャンネルや期間工の情報をまとめたブログやサイトで行っていました。
なんで日野自動車を選んだのかというと大きい理由としてはいくつかあります。
1つ目は都心に近いということです。
せっかく稼ぎにいくなら、休日も楽しめる場所で勤務したいという思いから都心に近い日野自動車を選びました。
2つ目が入社祝い金、その他手当が良かったからです。
今はどうか知りませんが、当時自分が応募したときは他と比べたときに入社祝い金やその他手当が多かったのでここに決めました。
派遣会社の事前チェックは絶対すべき
自分は前述した2チャンネルや期間工ブログなどの情報をもとにどこの派遣会社を通したらメリットが大きいのかを把握していたので、その情報をもとにアウトソーシングという派遣会社を通じて日野自動車に応募しました。
また自動車メーカーによってはどこの派遣会社を通すかで「貰えたはずの手当が貰えない」なんて事もあるので、これから自動車メーカーに応募しようとしている人は事前に派遣会社の情報を収集しておくことを強くおすすめします。
工場の希望は100%通るわけではない
面接の質問内容についてですが、あまり自身の事は質問はされずにあらかじめ応募した自動車メーカーの事を質問されたような記憶があります。
例えばですが「どこの工場を希望ですか?」や「以前に自動車メーカーで働いた経験はありますか?」などです。
念のため希望の工場を伝えましたが、100%希望が通るとは限らないみたいです。
また筆記テストについてですが、簡単な掛け算、算数の問題やチェックシートに記入する二択の問題など、特に考える必要もないくらい簡単な問題が出題されていたのを覚えています。
溶接作業の影響で手に違和感が出たことも
自分は車体科という部署に配属され主に溶接作業をする事になりました。
具体的な作業内容ですがスポット溶接と呼ばれる、専用の機械でボタンを押して部品と部品を溶接する作業をしていました。
作業時間内はずっと機会を触り、手を握っている状態が続くので家に帰り、朝起きたときには手を広げることに違和感を感じるような症状が仕事を始めてからしばらく続きました。
また勤務スケジュールについてですが、「2交代勤務」と呼ばれる勤務体制で1週目は朝8時から夕方5時まで2週目は夕方5時から夜中の2時までといったスケジュールを一週間ごとに出勤時間が変わるような形で勤労していました。
また残業に関してですが、繁忙期の時は常に2時間残業をし1時間あたり1500円の残業手当を貰っていました。
寮生活に不満はなく、住みやすかった!
寮についてですが、第4福生寮という福生市にある寮に入寮することになりました。
工場までの通勤時間ですが、自転車で約30分と少し距離はありました。
ただ、そこの寮で自転車の貸し出しを行っていたので特に不満はありませんでした。
間取りは6畳で、初期で備え付けであったものは「テレビ」と「小さめの冷蔵庫」でした。
そこの寮は浴場と洗濯機、洗面所、調理場が共用部分となっていたものの比較的綺麗に保たれており住みやすかったです。
上司や同僚など、人間関係に恵まれて良かった
定期的に飲み会などのコミュニケーションが取れる機会がありました。
そういった場に積極的に参加したのが良かったのかも知れませんが、職場での人間関係はそこそこ良かったです。
上司についてですが、とても面倒見がよく「分からないところがあればすぐに聞いてくれ」と言ってくるような正に理想の上司でスムーズに作業を覚える事ができました。
同僚や先輩も歳が比較的近かったので他愛のない話ですぐに打ち解ける事ができました。
都内の工場だから休日も都心で楽しめる
近隣にネットカフェがあったので、仕事帰りや休日に寄っていました。
そこで趣味だったダーツやビリヤード、または気になる漫画などを読んで過ごしていました。
また東京都内ということもあり交通の便がよく、都心の方にも40分くらいで行けたので職場で仲が良くなった同僚と出かけたりして観光や食事を取ったりして親交を深めたりしていました。
それ以外の日は実家からパソコンやゲーム機を持ってきていたのでゲームをしたりして時間を潰していました。
仕事に慣れても時間に慣れることはなかった
日野期間工で働いて辛かったことは大きく2つあります。
1つは「時間が長く感じる」ことです。
始めたばかりは任された工程を遅れないように必死に回すので精一杯だったのですが、慣れてしまったらルーチンワークなので時間がとても長く感じてしまい、辛かったです。
もう1つは「2交代勤務が辛い」ことです。
前述しましたが、2交代勤務は一週間ごとに勤務時間が変わるので、規則性がなく生活リズムが崩れます。
それによって勤務中に眠気がひどく、作業がままならない事がたびたびありました。
期間工をするうえで2交代勤務は避けられないですが、いつまでも体が慣れないのでこれも辛かったです。
期間工として働いて良かった!
日野期間工として働いてよかったことももちろんあります。
まずは「お金が貯まる」ことです。
もともと2交代勤務手当や深夜手当などで普通の職業やアルバイトより給料が多くもらえるのはご存知だと思います。
しかしその他にも勤務年数や日数によって金額が変わってくる満了慰労金や契約更新手当なるものがあり、給料とは別でお金を貰える機会が多いので普通に生活していれば黙っていてもお金がたまっていきます。
そして「忍耐力が強くなる」ことも良かったです。
目に見えるメリットではないのですが、期間工をしていて忍耐力が強くなったと思います。
当時は途方もない作業で飽きるような作業を毎日続けてきたわけですが、今となっては仕事に限らず人生において我慢強くなったのを実感しています。
「期間工として働いてよかったな」と思うぐらいです。
期間工初日に逃げ出す人がいてビックリした
契約満了前に辞めた人を2人くらいみました。
1人目はまだ入って1日目の新入りの方でお昼休憩まで社員の方が付きっ切りで指導していたのですが、休憩後戻らなくなり興味本位で社員の方に尋ねてみたところ「自分もわからない」との回答。
おそらく作業が辛くて休憩中の隙を見てそのまま会社から逃げ出してしまったとの事。
2人目は次の仕事を見つけ満了前に退職してしまった人です。
2人目の方は工場に就労しながら新しい勤め先を見つけ、入社日の予定を合わせる事が出来ずに契約満了前に退職していってしまいました。
満了後、失業手当で食い繋ぐ人がいるらしい
自分は1年8か月勤めて辞めたのですが、辞める1か月くらい前に知り合いが人材を募集していたので満了後はトントン拍子で就職することができました。
自分の話ではないのですが、期間工は契約上2年11か月で契約打ち止めとなり、満了後に最低6か月あいだを空けないと再度期間工として働けないみたいです。
そしてその6か月の間を「失業手当」で食い繋いで、再度応募できるようになったらまた期間工として働くという人も中にはいました。
「いろんな人がいるな」と思いました。
ヒロシさんが稼いだ日野の解説記事はこちら!
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