約28万円!
メーカー | パジェロ製造 |
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勤務した工場 | 岐阜県加茂郡坂祝町坂祝工場 |
期間工として働いた期間 | 2015年9月〜2016年2月の6ヶ月間 |
稼ぎたいと思うなら、我慢することも大事だと思います。
毎日単調な作業が続くとサボりたい、辞めたいと思うことも正直あると思います。
そんな時は先輩社員とある程度仲良くなって、休憩のときに話をするようにしていけば、気も紛れるのでそうすることをお勧めします。
一時的な稼ぎのために入る場合は、その後の転職活動をする時間を平日で作ることが難しいかと思います。
もちろん有給もないので、どうやって探すか、探した後に面接をどのタイミングで行くかをしっかり考えて、仕事をしたほうがよいです。
目次
お金がない時に期間工の募集を見つけた
大学卒業後、転職を重ねていく中で、大手のグルメ検索サイトで営業職をしておりました。
収入もそこそこあり、満足のいく暮らしをしておりましたが、かかわりのあった飲食業の方向性に興味を持ち、営業職を退職し転職したが、飲食業で体を壊して半年で退職することになりました。
その後、知り合いに連絡をして業務委託での仕事を請け負っていましたが全く稼ぐことが出来ずに、1年で断念。
お金がなくなり、地元に帰った時に、近くで期間工の募集があったので応募して、半年間働く決意をしました。
無職だったので入社祝い金・満了手当に興味を持った
無職の時はとにかくお金を稼ぐ必要があったので、コンビニにおいてある無料求人誌と、求人サイトを見て、給料の良い仕事を探していました。
その際に入社祝い金という言葉にひかれたこと、満了時の手当てが出ることが書いてあり、とにかく稼ぐことだけを目的に、仕事を探していたので、興味を持ちました。
いろいろなエリアで期間工の募集はしていましたが、給料面・エリアを考えたときに地元にあるパジェロ製造の工場であれば寮に入ることもなく仕事に着けることからやろうと思いました。
期間工ブログを見て、勤務地は通勤圏内で探す
期間工の情報は求人誌・求人サイトを複数比較しました。期間工ブログもいろいろ見ました。
入寮出来るところや夜勤で募集をしているところなど最初は様々な比較をしていましたが、金額面だけを考えていたため、メーカーについては正直どこであっても仕事さえできればよいと思っていました。
最終的には勤務地が地元の通勤圏内であれば良いと思ったので、必然的に応募するメーカーは決まっていきました。
また求人誌を見ていく中で、仲介に入る会社によって入社祝い金に差があることに気がつきましたので、祝い金が高く支払われる所を探しました。
パジェロ製造は当時、総額で40万円ぐらいの祝い金をもらえたと思います。
入社祝い金の条件はちゃんと電話して確認した
期間工に応募する時も求人誌をコンビニで複数手に入れて比較。また求人サイト・新聞の折り込みチラシに入る求人情報もみて比較検討して応募しました。
「入社祝い金の支払いには条件あり」という文言がどこの企業にも入っていたため、勤務する企業を決めたのち、その企業の求人を取り扱う媒体をすべて調べ、それぞれに電話で支払い条件などを確認しました。
話を聞いた中で最も良い条件であると思ったところで面接を受けることにしました。
実際には就業する工場での面接前の事前打ち合わせをして面接日を知らされるという形でした。
面接官は質問にちゃんと回答してくれる!
面接は、面接官3名でした。
受ける人間も4名同時の面接で、健康であるかどうかを中心に聞かれました。また残業がある場合に出来るかどうかの確認もありました。受けた質問についてはすべてYesで答えました。
質問があるかを聞かれた際に、食事補助のこと、給料体系について質問をしました。明確に回答をいただきました。
筆記試験は、中学校程度の国語、数学の問題が出題されたと記憶しております。完ぺきではないですが、おおよそ問題なく回答が出来ていたものと考えております。
組み付けの作業は慣れるまでが大変
作業内容は、組み立てラインの最終工程に近いところに配属されました。
パジェロのスペアタイヤのカバーを組み付ける仕事でした。
体力的なきつさはさほどないものの、ずっと同じ作業の繰り返しのため、人差し指への負担がかなりあり、慣れるまでは1日終わると感覚がなくなるほどの痛みがありました。
朝8時45分始業で18時終業でしたが、ほとんどの日に残業がありました。日の生産台数によって、残業に入る時点で終業時間が知らされました。おおよそ1時間から2時間の間での残業でした。
平日はフル勤務で、土曜日については、基本は休みですが、月に1回から、多い時で3回、4回の休日出勤があり、基本出勤しないといけない感じでした。土曜日については残業は一切なしでした。
駐輪場から工場までは徒歩5分の距離があった
期間工で働くようになるきっかけが、仕事がなくて家賃を払うことが出来ず実家に戻ったときに就いた仕事だったので、寮は入りませんでした。
そのため実家での生活でしたが、特に不自由は感じませんでしたし、衣食住で困ることも全くありませんでした。
自宅から4キロほどのところに工場がありましたので、毎日原付で工場までは通勤していました。時間にして10分ほどで工場の駐輪場まではつくことが出来ました。
駐輪場から持ち場となる工場の職場までは歩いて5分ほどかかる場所でしたので、早めに家を出ていました。
正社員も期間工も関係なく優しい人たちばかりで嬉しかった
上司となる班長は特に勤務中にかかわりを持つことはありませんでした。
仕事を教えてくれる先輩や他の先輩に当たる正社員の方たちはみなさん大変気さくな方が多くて話をしやすかったです。
一緒に、期間工で入った人とは食堂では顔を合わせていましたが、同じ班にはいませんでしたので、基本は先輩社員の方たちとの付き合いでした。
私の入った後に期間工で入ってくる人はおりませんでしたので後輩はいないということになります。
女性は2人ほど、班にもいましたが話したことは無かったです。
休日は寝るかパチンコで疲れをとる
最初のころは慣れない仕事だったこと、土曜日も休日出勤の頻度が高く、週に1日の休みとなることがありましたので、疲れが抜けず、1日中寝ている時が多かったです。
慣れたころにもあまり出歩くことは無く休みの日は家で過ごしていました。
たまの息抜きでパチンコ屋に足を運んだ時に、同じ班の先輩がいてそこで親しく話をするようになりました。その後、何度か一緒に遊びに行くことがありましたが、いずれもパチンコ屋に行くことが多かったです。
期間工を辞めて1年経っても指の痛みが残って辛かった
期間工をして一番辛かったのは、同じ作業を在籍した6ヶ月間やり続けたことで、指への負荷がかかり、指の痛みが辞めた後1年くらいは残っていたことです。
仕事をしているときは痛みを感じつつも何とかやっていましたが、辞めた後も痛みが取れないことに不安に思うこともありました。
また、残業も多くありましたが思いのほか稼ぐことが出来なかったという印象でした。生産協力金という名目でいくらかいただきましたがもっと稼ぎたかったというのが本音としてはあります。
アルバイトよりも安定して稼げるのは大きい
職がない状態で実家に帰っていましたので、ただアルバイトをするだけよりは、安定して仕事をもらえるということにまず魅力を感じていました。
また、次の仕事を探すにも生活費をためないといけないし、それなりの稼ぎがあれば親に対しても申し訳が立つと考えて期間工を選びました。なのでその点は良かったと感じております。
久々に地元で暮らすことが出来たのも私にとっては良かったと考えております。特に知り合いや旧友はおりませんでしたが、職場の先輩たちは気さくな人が多かったです。
また、年末年始の際には(これは全員になりますが)、かなりの大型連休を取らせていただいたので良かったです。しっかりリフレッシュする時間があったので助かりました。
途中で退職を考えたこともある
一緒に入った期間工でよく話をしている人がいましたが、1か月もしないうちに顔を見なくなりました。
同じ作業の繰り返しをする毎日で、私以外のところも仕事は一度まかされたらずっと一緒であると考えられますので、その仕事がよほどのきつさであった、もしくはその人にとってその仕事が合わなかったということが考えられるかと思います。
実際私も途中で退職を考えたことはあり、それほど慣れるまではきつい仕事であったと今になって思います。
期間工しながらの転職活動は難しい
満了後に転職活動を再開しましたが、再就職までには4カ月ほどかかりました。
平日は残業も多く、土曜日も休日出勤が多くあったため、転職活動をすることが正直あまりできませんでした。
期間満了後にようやく転職活動をスタートさせましたが、書類選考で落とされることが続き、年齢的にも面接まで行ける会社が少なく苦労しました。
結局、登録していたサイトからオファーをもらった会社に面接に行ったところ、即採用がきまり、今もその会社で働いています。
まよいさんが稼いだパジェロ製造の解説記事はこちら!
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