25万円!
家賃も無料
メーカー | 日野自動車 |
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勤務した工場 | 群馬県太田市太田工場 |
期間工として働いた期間 | 2017年2月〜2017年8月の半年間 |
期間工の仕事は向き不向きがはっきりした仕事です。
自分はどういった仕事に適性があるか自分の性格をよく把握しておくべきだと考えます。
私の場合は借金を返済しなければならずとにかくお金になる仕事を探していてその結果、期間工の仕事を選びました。
期間工に向いている人は同じ作業を繰り返してもストレスを感じない人、精神的に安定した人だと思います。
私の場合は単純作業の繰り返しはストレスでしかなかったので向いていなかったなと思います。
よって給料だけで判断せずにご自身の性格をよく知った上で向いていると思えば期間工の仕事をやってみればいいと思います。
期間工の前は、月収20万未満の職を転々としていた
私は山形大学を卒業しました。
大学を卒業すると弦楽器専門店に就職しましたが3ヶ月で退職しました。
その後民泊施設に物販コーナーを設けたりチェックインのアプリを開発するベンチャー企業で3カ月インターンをしました。
インターンが終わった後は京都府の農場で1ヶ月間働きました。
農場で働いた後日野自動車株式会社で働き始めました。
日野で勤める前は月給が20万円を超えることはなく決して裕福な暮らしをしていた訳ではありませんでした。
期間工の存在をフリーペーパーで知る
私の実家は岩手県にあります。
実家の近くのコンビニに置いてあった様々な求人が載っているフリーペーパーで知りました。
当時私は奨学金の支払いが遅れていてさらに、クレジットカードの支払いが遅れておりました。
また、日野で働く前に農場で農作業を体験したのですがその農場で働きたいと思いました。
農場で働くには運転免許が必要でした。
そのため様々な支払い、運転免許を取る資金を集める必要がありました。
そこで給料が良かった日野での勤務を始めることにしたのです。
寮費無料、短期間で働ける日野自動車を選ぶ
コンビニに置いていた様々な求人が載っているフリーペーパー紙を読んだりインターネットで短期間でたくさんお金が稼げる仕事を探しました。
日野を選んだ理由は寮費が無料な上、日給が高いこと、3カ月ごとに更新ができて他のメーカーと違って長期間働く必要はなく短期間働けること、毎月採用面接をしており面接する場所が実家から近い場所で行われたことでした。
勤務地については私が決めたのではなく日野の方から決められた勤務地でした。
ホンダは最低2年間働くことが条件であった
コンビニに置いてある様々な求人が載っているフリーペーパーの雑誌を探しました。
日野にしようか迷っているときは日野自動車のホームページを見てどういった会社かある程度調べました。
ホンダの方が日給が高かったのですが最低でも2年は働かなければならず農業の仕事をしたかった私としては短期間働けるところが良かったのでホンダよりは日野の方が私の希望に沿う職場でした。
日野で働くと決めてからはすぐ電話して面接の予約をして面接を受けました。
選考内容は面接と体力テスト
面接と体力テストをやりました。
前職は何をしていたか、なぜ日野を選んだのか、どの工場に配置されるか決定権はないがそれでもよいか、身長、体重といった質問を軽く受けてメインは体力テストでした。
体力テストは握力のテストを受けました。
恐らく体力次第でどういった現場を任せるか判断材料にするためだと思います。
仕事が始まってすぐに給料を頂ける訳では無いのでその間の生活費はあるのか夜勤は大丈夫かといったことを聞かれました。
検査業務を日勤、夜勤の2交代制で働く
仕事は大きく組立、物流、検査の3つに分かれており、私は検査を担当しました。
私が務めた工場は大型エンジンを出荷する工場でした。
具体的にはキャップがしっかり締まってあるか、緩んだネジはないかといった確認作業やPSポンプを取り付ける仕事やオイルを抜く仕事もありました。
熱湯でやけどをする恐れがあったので細心の注意を払わなければならなかったことが大変でした。
前半の3カ月は8時から定時は18時で残業はほぼ毎日2時間程度ありました。後半の3カ月は日勤と夜勤の2交代制に変更になりました。
特に大変だった点は生活リズムを整えることでした。
例えば日勤の次の週は夜勤でその次の週はまた日勤という具合でしたので休日は寝る時間を調節していました。
部屋の広さ、設備は問題ないが、建物が古くお風呂の臭いが気になった
寮は7畳の広さでテレビや冷蔵庫、クーラーが備え付けてありました。
部屋は思ったより快適でした。
しかし建物は古く、特にお風呂は悪臭がして我慢するのが大変でした。
近くにはコンビニとスーパーがあり社食もあったので食べるものには困ることがありませんでした。
洗濯機は共同で作業着用と普段着用で分かれていて配慮が見られました。
しかし娯楽という点では周りには何もなかったので東京まで出掛けないと遊ぶところはありませんでした。
人間関係は良好で、外国人期間工とも仲良くなった
職長といった立場が上の人達は従業員に対する気配りがあって良好な関係でした。
しかし1人だけ人格攻撃をする社員がいました。
その社員は期間従業員に対して見下すような発言をしていました。
仕事に対しても小さなミスに対して必要以上に怒鳴るような人でした。
それ以外では上司とも先輩、後輩、同僚とも良好な関係を築くことができました。
特に後輩にブラジル人がいまして音楽の趣味が合ってかなり仲良くなることができました。
外国人の友人もでき、充実した休日を過ごす
最寄駅から2、3駅行ったところに美術館があったのでそこに出掛けました。
また、パキスタン人の友人ができたのでパキスタン料理店に連れて行ってもらいました。
仲のいい先輩とはペルー料理店に行って食事をしました。
東京に出かけたときはたまたま遊びに来た韓国人の友達を浅草や渋谷、表参道を案内して過ごしました。
また、歩いて行けるところに楽器店がありピアノを弾きに行っていました。
寮は楽器の持ち込みが禁じられていたので音楽好きの私にとってはとても大切なことでした。
怪我とのリスク、単純な作業がつらかった
体力的には重労働でしたし火傷をする恐れがあったのでそれを避けることが大変でした。
寮内では自由さがなく仕事もひたすら言われたことを言われた通りにするしかなく何をするにも上司に確認をしなければならずまるでコンピュータかなんかのように働かなければならないことに窮屈さを感じていました。
また、ひたすら同じ工程を繰り返していかなければならず退屈で面白みがないなと感じていました。
上司の理不尽に怒る点も辛い思い出でした。
経済的余裕が生まれ、借金も無事完済できた
一番良かったことは経済的に余裕が生まれたことです。
忙しいときは残業が多くて稼げましたし期間満了ごとに報奨金があったので借金はすべて払うことができました。
さらに、余ったお金でNPO団体に寄付をしたり運転免許を取る資金を貯めることができました。
また、外国人や海外で働いたことがある人が多く外国のことを色々知ることができました。
例えばイスラム教徒はなぜ牛を食べてはいけないか知れたり祈祷をする場に連れて行ってもらえたことはいい経験だったと思います。
メキシコで働いたことのある先輩からはスペイン語を教わりました。
また、工場の近くにはブラジル人が多く住む地域があってそこを案内してもらったりして地域の文化を知ることもできました。
正社員と期間工との格差は逃げられない
知り合いにはいませんでしたが始まって1週間で逃げた人がいると聞いたことはありました。
また、交通事故で亡くなった人もいました。
理由としては性格的に合わなかったのではないかと思います。
どうしても正社員と期間従業員の間には差があるように扱われます。
何をどうするか決めるのは正社員ですし期間従業員は勝手に何かを決めるなと言われます。
あれこれ指図されることが嫌な人は続けられないのではないかと思います。
期間工満了後は、好きな仕事をして精神的に充実
日野での仕事を始める前に野菜を作る農場で1カ月間仕事をして農業に興味がありました。
その為、契約満了後はすぐに農場で働き始めました。
私が働いた農場は化学肥料を使わず無農薬で野菜を育てる農場でした。
年間でいうと100種類以上の野菜を作っています。
給料は期間工時代に比べればかなり安くなりました。
しかし、自然に触れながら仕事をすることは気持ちよく、精神的な充実度は期間工時代を遥かに上回るものでした。
うまいぼうさんが稼いだ日野の解説記事はこちら!
日野自動車で働いた他の期間従業員の口コミ
久しぶり!ちゃんと野菜作ってるかな?
日野自動車では色々と話したり楽しかった!
ボクの方も頑張ってるよ。
ではまた…(笑)
コメントありがとうございます!
体験談を書いてくれたうまいぼうさんに、Bさんからコメントがあったことをお伝えしておきますねー