28万円!
家賃も無料
メーカー | ホンダ |
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勤務した工場 | 埼玉県狭山市狭山工場 |
期間工として働いた期間 | 2014年3月〜2016年6月の2年3カ月間 |
無料の寮や安い食堂が利用できる期間工はお金を貯めるにはとても良い環境ですので、お金を貯めて投資に回すなどすると期間満了後の自由な人生を実現するために良いと思います。
期間工の仲間にはクズだけれども面白い人やいい人、いろいろな経験をしてきた人などがたくさんいますので人と関わってみるのも良いと思います。
パチンコや飲み代などにたくさんお金を使って、貯蓄をほとんどしない人もいますが、それはもったいないと思いますよ。
期間工の前は、友人の家で居候生活
都内の私立中堅大学に通っていましたが、通うのが嫌になり大学を中退し親との関係が悪くなったため、一人暮らしの友人の家に居候のような形で暮らしていました。
大学中退後の仕事はまず、警備会社でのアルバイトで月収8万円くらい、その次は日雇いの単発派遣で月収5万円くらいでした。
友人(彼もまたフリーター)の家に居候のような形で共同生活していたため、この収入でもどうにか生活することはできました。
お金はありませんでしたが、友人との約1年間の共同生活は楽しいものでした。
学歴や職歴が不問の期間工に応募
期間工の仕事自体は求人誌で目にしたことがあり以前から知っていましたが、辛そうなイメージや底辺の仕事というイメージがあったため、当初は営業や事務などの正社員の仕事に就こうと考えていました。
しかし、大学を中退してろくな職歴もない私が条件の良い正社員の仕事に採用されることはなく、求人に応募しては不採用になることが数か月続き、次第に焦燥感や不安感を感じるようになりました。
そのような状況で改めて求人誌の期間工の求人を見ると給料も良く、無料の寮もあるらしいのでお金が貯められそうであり、また、学歴や職歴が不問であるので私でも採用される可能性が高いように思われ応募しました。
地元近くにあるホンダを選んだ
当時は仕事がなかなか見つからない焦りと早く仕事を決めたいという思いが強かったためか、情報収集や各メーカーの比較などはほとんどしませんでした。
たまたま手にした求人情報誌には、期間工の仕事はホンダとあともう一つのメーカー(名前は忘れてしまいました)くらいしか掲載されていなかったように記憶しています。
そのなかでも、埼玉にあるホンダならば地元の千葉から赴任するのに楽であり、土日や長期休暇に帰ってきて地元の友人と会うことも容易であると考えて応募しました。
当時は期間工の派遣会社というものをを知らなかった
求人情報はタウンワークでたまたま見つけて、そこに書いてあるとおりにしてホンダの期間工応募サイトから面接を申し込みました。
今でこそ期間工の求人を集めた専門のサイトがあることを知っていますが、当時は知らなかったのと、早く仕事を決めたいという焦りもあったため、インターネットなどで改めてほかの期間工の求人情報を比較検討することもしませんでした。
選考会は簡単な計算と面接
面接の場では簡単な計算をたくさんさせるような筆記テストがあったように記憶しています。
面接官からは「志望動機」「どれくらいの期間働こうと考えているか」「車やバイクを持っているか」「寮に入ることを希望するか」、各工程の仕事の映像を見せられたうえで「自分にもできそうか」「どの工程をやってみたいか」を質問されました。
志望動機には「細かい作業などを集中して行うことが自分に向いていると思ったため。」「給与などの条件が良いため。」と答えました。
どの工程をやってみたいかについては「未経験なのでまだ具体的にはイメージできないが、どの工程に配属されても頑張ります。」というような回答をしました。
これまでに経験した面接と違って「職歴」や「学歴」については全く言及されませんでした。
燃料タンクをセットする工程を担当
私は組立課のアンダーボディチームに配属されました。
私の担当はコンベアから流れてきた燃料タンクを機械にセットして送り出すことと燃料タンクにチューブ類を接続することでした。
車1台当たり1分くらいの間にすべての作業をこなさなければならず、合間なく動き続けなければならないため、一日の終わりには相当疲れが溜まっていました。
勤務は6:30~15:00くらいまでのAシフトと15:00~23:30くらいまでのBシフトを一週間ごとに交代する形態でした。
23:30~翌朝までのシフトはごく一部の部署でしか行われておらず、私は経験しませんでした。
私が働いていた時期は生産数が少なかったため、残業や休日出勤はほぼありませんでした。
そのため手当で稼ぐことはできませんでしたが、きちんと休めるため体力面では助かりました。
土日は休みで祝日は出勤でしたが、代わりに年末年始、GWとお盆が各10日くらいの連休でした。
食堂で安く美味しくご飯が食べれて満足
1年くらい暮らした最初の寮は工場から2駅くらい離れていて、電車の運行している時間は電車で、終電後は工場の送迎バスで通勤しました。
個室ですが、古臭い6畳の畳の部屋で防音性も低くてあまり良い寮とはいえませんでした。
周辺はやや寂れていてコンビニやスーパーからも遠かったため不便でした。
1年くらい経った時にその寮が老朽化のために閉鎖されることになり、第二の寮に移りました。
第二の寮は工場に近かったため徒歩で通勤しました。
部屋は6畳くらいのフローリングで防音性もあり、最初の寮に比べると普通のアパートのような環境でした。
周辺は住宅街でコンビニ、スーパーと駅も近くにありました。
いずれの寮でも個室には布団、机、テレビとエアコンが付いており、大浴場と共用のトイレ、洗濯場がありました。
また、寮には食堂があり、1食380円くらいで食べることができ、味も量も満足できるものでした。
気さくな人が多く、休憩時間もよく話した
基本的には一つの工程を一人で担当しますので、作業中にほかの人と関わることはほとんどありませんでした。
休憩時間に同じチームの人と休憩所で話すことはよくありました。
正社員も期間工も気さくな人が多く、嫌な性格の人はあまりいませんでした。
チームの飲み会がたまにあり、正社員も期間工も参加したい人は参加していました。
私は気さくに話しかけてくれた期間工の先輩数人と休日に遊びに行くことがありました。
ただし、喧嘩っ早い性格の人もいますし、疲れやストレスが溜まりやすい環境でもあるのでトラブルも起こりやすいです。
また、作業のミスが多い人は正社員から怒られたり、しわ寄せを受けたほかの期間工から文句を言われたりすることがあります。
私のチームには女性が一人もいませんでしたし、工場全体でも女性はかなり少ないので私の周囲では女性関係はありませんでした。
お金を貯めるため休日は寮の部屋で過ごした
期間工の先輩からたまに遊びに誘われたときを除いては、ほとんど寮の部屋で一人で過ごしていました。
理由はお金を貯める目的で期間工をしていたので極力お金を使いたくなかったため、また、平日の労働で溜まった疲れを回復させるためです。
テレビを見たり、パソコンでゲームをしたりインターネットをしたり、図書館から借りてきた本を読んだりして過ごすことが多かったです。
年末年始、ゴールデンウィークとお盆はそれぞれ10日くらいの連休なので、地元に帰って地元の友人や親類と過ごしました。
期間工を辞めた後の将来を考え、不安になることも
期間工を辞めた後に自分の人生がうまくいくだろうかという不安を抱えながら毎日毎日同じ作業の繰り返しで、しかも作業時間には合間が無いので肉体的にも精神的にも疲れました。
一人ひとりが担当する作業は細分化されていて、そこに達成感や労働の喜びもありませんし、工場の機械の一部のように働き続けなければならない環境にはストレスが溜まりました。
また、遅い生活リズムのBシフトから早い生活リズムのAシフトに切り替える週は朝起きるのが辛かったです。
期間工のメリットは、お金が貯められること
お金を貯められたのが、やはり期間工をやってよかったことです。
私の場合、家賃無料の寮に住み、食事もほとんど工場や寮の食堂で済ませることで、毎月の手取給与約20万円のうち17万円くらいを貯蓄に回していました。
満了金もほとんどすべて貯蓄しましたので、期間工として働いた2年3ヶ月の間に500万円以上貯めることができました。
また、仕事内容は単純作業の繰り返しで肉体的にも精神的にも疲れるものだったとはいえ、一人で集中して行う性質であるため私の性分に合っていたといえるかもしれません。
もし、営業の仕事や人と多く関わる仕事などをしていたらよっぽど辛い思いをしたかもしれませんし、お金もこれほど貯まらなかったと思います。
ほかには、今まで関わったことの無かったさまざまな境遇の人たちと出会うことができたことともよかったです。
仕事が辛すぎて辞める人はいなかった
服屋の販売員という以前から本当にやりたかった仕事に就いたため3ヶ月間の初回契約満了前に辞めた人がいました。
有期契約の仕事であるしスキルなどが身につくわけでもなく、肉体的精神的にも疲れるので元から長く働くつもりが無く、条件のよい仕事を見つけ次第辞めようという理由だと思います。
仕事が辛すぎて契約満了まで持たなかったという人や、事前の連絡も無く突然来なくなるようないわゆるバックレを行う人は私の周囲にはいませんでした。
貯めたお金で喫茶店を東南アジアに移住
期間工で貯めたお金で東南アジアの国に移住し、喫茶店を開きました。
その国には学生時代に旅行で訪れたことがあり、知人がいたことがきっかけです。
しかし、共同経営者とうまくいかなかったため喫茶店は閉めて、現在は現地の企業で営業の仕事をしながら新たに小売店を開いています。
社会、政治状況に不満がありましたし、非正規雇用やブラック企業などの問題があり労働環境も良くないと思ったため、満了後に日本で仕事を探すつもりはありませんでした。
辞める人を見なかったというホンダは、やはり期間工業界の超ホワイト企業です。きつくてすぐ辞めてしまいそうなのが不安な人にはおすすめできるメーカーですね。
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