40万円!
メーカー | コマツ(小松製作所) |
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勤務した工場 | 石川県小松市粟津工場 |
期間工として働いた期間 | 2006年4月〜2008年3月の3年間 |
コマツは現在、大阪工場(枚方市)と茨城工場(ひたちなか市)で期間工を募集中です。
私は職場内に先輩後輩同級生といった気の知れた仲が最初からあったわけですが、同時期に一緒に働き始めた方達も本当に心の良い方達ばかりです。
たまに今でも戻りたいなと思えるくらいの素敵な職場です。
肉体的な辛さはもちろんありますが、それ以上に人間関係や仕事に対する真摯な姿勢も学べるところです。
収入目当てでもなんでも入り口は皆違うと思いますがここで働いて良かった、と振り返ることが出来る職場をぜひ見つけて下さい。
仕事の疲労で食べずに寝てしまう生活
期間工になる前は同じ小松製作所の別部門に派遣社員として従事していました。
時給1250円の一時間休憩を挟む8時間勤務で田舎にしてはアルバイトとしては割のいい仕事です。
収入については実家への仕送りと入った職場の先輩方との飲み代、あるいは遊興費として消えました。
仕事が次々と流れてくる重い重機の部品を更に思い工具で取り付ける作業でしたので帰ると疲労で晩御飯も食べずに寝てしまう生活でした。
学歴は地元の工業高校から関西の建築専門学校に進み、就職氷河期も重なり卒業後は地元に戻りアルバイトの日々を送りました。
先輩からの推薦で期間工に
期間工になる前は、同じ工場内の別部門でライン工として建設重機の組立作業に従事していました。
その後同じ小松製作所で働く地元の先輩から期間工の募集があるということを聞き、改めて期間工として熱処理部門で働くことになりました。
時給は1500円でしたが、残業は一日必ず3時間、3交替制だったため深夜割増手当も付き前職比べ2倍近くの収入を得ることが出来ました。
先輩からの推薦をいただいたおかげで実家に収める仕送りも増え両親も喜びました。
父が過去に働いていたメーカーに勤務
派遣社員から別部門の先輩の便宜で期間工へ転身したので運が良かったのだと思います。
派遣社員になる前は、営業職を辞め手に職がなくても何か肉体労働をしたいと考えていたので地元の求人誌をあさり、一旦派遣業者に登録しました。
その後派遣業者から連絡がありお住まいから近くのところと車で40分のところでどちらも入れますとご提示いただきました。
メーカーを選んだ理由は過去に父がこちらで正社員として働いていたことが選んだ決め手です。
勤務地は数か所あったのですが、勤め先が住まいから5分くらいの場所だったので迷うことなくこちらを選ぶことになりました。
職探しは地元の求人誌で
もともとは地元の先輩からのあっせんが、期間工になったきっかけでした。
派遣期間終了間近は身内や友人から紹介してもらえる仕事はどれも私の希望と一致しませんでした。
町のコンビニエンスストアで週替わりに発売される求人誌を毎週毎週2冊購入し、前職と比較し割のいい仕事を探していました。
当時はネットもあまり見ることもなかったので仕事を探すときはハローワークもしくは地元の求人誌が職探しのメインでした。
ライン工をやっていたことで問題なく採用となりました。
期間工.jp経由なら、面接のサポートなどが受けらるし、内定率も90%ぐらいあって安心ですよ。
選考会では面接と視力検査、時間内での計算など
記憶が定かではないのですが、難しいことを要求されることは無かったです。
簡単な視力検査や時間内での計算、左から右への小さなピンの移動くらいです。
選考する方も私の事を知っていたため、便宜を図っていただいたのだと思います。
面接はごく一般的な志望動機からどのくらいの収入を得たいのか、三交替制について受け入れられるかどうか、当時北京オリンピック特需で休日出勤がある可能性を問われましたが支障がない旨をお伝えしました。実際に休日出勤は何度かありました。
エンジンギヤの焼成を担当
常時45℃から50℃くらいの温度の中作業にあたります。
暑さが苦手だときつい職場ですが冬はむしろ快適です。
主な作業内容は重機のエンジンギヤの焼成です。
重たい部品を炉に投入し焼成後、工業油に浸しなまします。
時間が数時間かかるため、その間に次の作業として招請していない生ギヤを並べる作業があります。
その後クレーンで吊り上げ、次の焼成のために炉前にセットしておく必要があります。
そのために玉掛、移動式クレーンの資格取得が必要になります。
資格取得費用は会社持ちです。
他にも焼成後のバリ取り作業であるショットブラスト(非常に小さな鉄の粒を機械の中で噴出しギヤのバリ取りや表面を滑らかにする)や防炭といって焼きなましを必要としない箇所にあらかじめ特殊な塗料を塗布する作業がありました。
残業は日々3時間です。
三交替制で朝、夕方、夜間からといずれかのグループが必ず2つ在籍して作業に従事します。
体はライン工の比で無いくらいきついです。
きつい分収入が良いのでとても満足でした。
寮ではなく借り上げの一般住宅に住んだ
部屋は寮住まいではありませんでした。
以前より借り上げている一般の賃貸住宅です。
帰宅時間がある程度定まっていましたが、隣の住人との生活スタイルが異なるため、時に生活音がやかましく感じることもあり寝つけないことも多々ありました。
ただ、こちらも深夜に掃除や洗濯をすることがあったので迷惑をおかけしていたかと思います。
時間帯によってはその日の晩御飯をスーパーで買うことが出来ないこともあったので専らコンビニ飯が多かったです。
知り合いがいたため人間関係は良好だった
元々高校の先輩や同級生、後輩がいる環境の中での仕事でした。
上の方にもとても気に入られており、何か本業ではないところで手を貸してほしいなどと必要とされることが多い職場でした。
当時のセンター長はとても厳しい方でしたが、普段の会話はとてもフランクな方で、時折自宅に招いていただいたり、お酒の席でもよくしてくださいました。
女性はほぼいませんでした。
というのは事務方仕事の方とは棟が全く異なるため出会うこともほぼありませんでした。
休日は一人で旅行に
出歩いても無駄にお金を浪費するたちなので車を購入して一人で旅行に出かけたりしました。
その中で女性との出会いもありお付き合いすることが出来ました。
仕事とは関係ないです。
あとは両親を連れ出し食事に招待したりしてなるだけこれまで迷惑をかけてきた家族に恩返しに時間を割きました。
やらなければよかったこととして、ギャンブルがあります。
時間とお金をとても無駄にしました。
一回で懲りたので給与は服を買ったり貯金にあて穏やかに過ごしました。
上司を尊敬していたからこそ辛かったことも
社員登用制度があったのですが、3年と決めて仕事をしたかったので応募はしませんでした。
辞める当日のこれまで過ごしてきた日々を振り返りながらの作業で思わず泣いてしまいました。
本当に良い方ばかりの職場です。
満足できなかったことといえば、たまに自分の気付かないところで生ギヤに傷を付けてしまって、それを焼成後に不良品として処理するのですが、始末書等で尊敬している上司にご迷惑をお掛けすることになるため心が痛みました。
高収入の期間工で気持ちに余裕ができた
まず高収入を得たことで回りの人にもその恩恵を与えられたことです。
家族には今まで出来なかった親孝行も出来ました。
彼女にはお金がある気持ちの余裕から優しく接することが出来ました。
次にカタログを収集していた大好きな車種を貯めたキャッシュで購入しました。
あとは縦横の繋がりです。
未だに連絡を取り合う仲の友達が出来ました。
仕事から得た教訓は焦らず急ぐということです。
急ぐだけ、焦って取り掛かる作業ではミスも出てきますが気持ちを落ち着けて作業にあたる際に心の中で焦らず急ぐをモットーにやることでミスが劇的に減らすことが出来ました。
傍から見れば単純作業に見えますがなかなか神経を使う仕事です。
焦らず急ぐは今もどんな仕事の時でも心の中で唱えています。
自分勝手な仕事ぶりで期間工を辞めた人も
ギャンブルによる当日欠勤や上司の言うことを聞かない自分勝手な仕事ぶりでまわりから総スカン状態の方がいました。
口は悪くとも本人を思ってのお叱りが孤独になった自分を追い詰め出勤しづらくなったのではと思います。
本人がいないところで陰口をよく言っていましたし、そのような行為は自分を下げるということに気づいていなかった先輩でした。
辞めた後、ギャンブルの誘いの電話や彼女に逃げられた等のメールが送られてきましたがやはり日頃の自分勝手な振舞いが祟ったのだと思われます。
期間工の次は経営学を学ぶことに
辞めてしばらくはとある会社社長宅で住み込みの丁稚奉公をしていました。ドライバーや家事炊事、経営しているお店の店員も兼務し経営学を学びました。
その後お世話になった社長宅を後にし、個人経営者として数年間廃品回収業者を営みました。
回収したものを修理出来るものは修理してオークションサイトで販売したり、修理が出来ないものは海外から求めてやってくる業者に販売したりしました。
自動車メーカーより仕事がきつい印象もありますが、その反面給料も高いです。コマツは玉掛、移動式クレーンの資格取得費用が会社で負担してくれるので、期間工を辞めたあとも資格が有効活用できますね。
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