21万円!
寮費も無料
メーカー | スバル |
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勤務した工場 | 群馬県邑楽郡大泉工場 |
期間工として働いた期間 | 2018年10月〜2018年12月の3カ月間 |
とにかく自分の将来と身体を大事にしていただきたいと、切に思います。
私がそうでしたが、大きなケガをしたり、閉所恐怖症に陥ってしまった場合、会社の人間は冷たいです。
基本的に自分から退職を申し出る方向に追い込んでくるので、その目に見えない圧力に負けずに立ち向かうのか、それとも自分が損をしない範囲で見切りをつけてお金を貰えるだけ貰って辞めるのかをしっかり決めると決意をした上で期間工を始めるべきだと思います。
どれだけお金を貰えても正社員になる気が無いのなら、休日出勤などのやりたくない事はハッキリとお断りしてしまえば良いと思います。
期間工後の人生についてしっかり考えて働ければ、モチベーションも持てて、仕事を楽しめると思います。
お金に困り、お笑い芸人から期間工へと転身
高校を卒業後は、お笑い芸人を志し大阪で養成所に通いました。
芸人活動ではお金にならず、、アルバイト中心で生活費を稼いだり、一時活動を休業して他社で期間工をしたりして生活や活動費を稼ぐような生活でした。
その後5年間活動の後廃業し、フリーターを続けていました。
結婚を考えている彼女との同棲をしているのですが、お金に困り就職活動をしようかと考えていたそんな時に、インターネット上で期間工募集のサイトに目が止まり、就職の前に一度お金を稼ぐために期間工として契約社員をしようと決めました。
転職のきっかけは満了金と入社祝い金
元々大阪から東京に上京するための資金稼ぎとして過去に三か月を満了したことがあるのですが、その当時インターネット上で期間工は稼げるとの情報を得て、出稼ぎに行く事を決意したことでこのお仕事を知りました。
三か月の短期間でも50万円以上貯金できるというのが、やってみようと思うきっかけになったのですが、一番の理由はやはり満了金と入社祝い金でした。
また、身体を鍛えられると考えたのも始めようと思った一つの理由です。
今回は彼女との結婚を見据えた貯蓄を目的に始めたといったところです。
ネットで立地や給料の情報を調べた
今回もインターネットで様々な期間工会社の情報を得た上で株式会社SUBARUを選ばせていただいたのですが、まず関東圏で働けるというのが大きかったです。
埼玉に現在の住居があるのですが、そちらには彼女が残ります。
ですので毎週、もしくは月に数度は会う事が出来るようにというのが一つネックだったのです。
元々ホンダと悩んでいたのですが、電車で2時間近くかかるとはいえ、全然許容範囲で、入社祝い金も多かったのでそれでも良いと思い、株式会社SUBARUを選ばせていただくことになりました。
仲介会社「マンツーマン」を経てスバルに応募
タウンワークなどの求人情報誌にも期間工の求人は多く存在していたので目には入っていたのですが、最終的に応募しようと決意したのは、インターネットで情報を細かく調べ倒した上で決めることになりました。
以前は幅広く探している途中で期間工.jpを利用しましたが、今回は別の派遣会社を利用しようと思い、別のサイトでさらに細かく吟味を重ねた上でマンツーマン様の仲介を経て応募する事となりました。
期間工経験があったため面接内容は他社について聞かれる
面接はホテルの一室で担当者の方と一対一で行われました。
まず軽い挨拶の後に軽く履歴書を確認しつつ、過去の職歴に対して少しだけ掘り下げていくようなスタンスでした。
私の場合過去の期間工としての勤務経験があったので、他社はどうだったかという事を主に重点的に聞かれるような流れで進んでいきました。「過去にケガをしなかったか」「仕事はきつく無かったか」「今回は何か月働くつもりなのか」などを一つ一つ聞かれ、答えていくような感じです。
筆記試験は、本当に簡単な数学の問題を数問解いたり、「木へんを使った漢字を5つ以上書いて下さい」という殆ど誰でも解けるようなテストをしただけです。
エンジンの組み立ては指の負担が大きく大変だった
基本的にエンジンの組み立てを行っていくのですが、基本3工程をぐるぐる回って終わらせていくものでした。
筋力はあまり使わないのですが部品の持ち方などが基本的に決まっており、手のあまり大きくない私としては指の神経や筋に負担がかかるような状態でした。ですが、繰り返し作業に耐えられる人なら問題なくこなせる仕事量だと思います。
勤務スケジュールは二交代制勤務で基本平日5日勤務に月に数度土曜日に休日出勤がありました。
勤務時間は一直が6:30~16:45、1.5時間残業。
二直が16:45~2:30、1時間残業込みです。
残業は週4日は毎日ありました。
週に一日だけ定時で上がれる日がある、といった勤務スケジュールでした。
休日出勤は、早番は残業込みの通常通りの勤務で、遅番の場合、残業もなく5時間程度と短時間の勤務でした。
通勤手段を強制されるほど社内ルールが厳しい
寮は大泉寮というところに入所しました。
立地は周りにはコンビニとドラッグストアがある為最低限はなんとか整っている、といった感じでしょうか。
しかし、正門から私の住んでいた0号棟5階の部屋までは徒歩で10分も掛かってしまう上にエレベーターもついていないため、移動の弁に関しては最悪だとハッキリと言えます。
通勤に関しては専用バスでの通勤を強制されます。
徒歩で通いたくても自転車で通いたくても、社内ルールがとても厳しいため変更は容易ではありません。
私は病気を理由に診断書ありでようやく通勤方法の変更ができたレアなケースでした。
年齢・育ち・学歴、いろんなタイプの同僚がいた
同僚に関しては年齢も育ちも学歴も本当に様々な人たちばかりなので、付き合う相手を厳選していくような関係が多かったです。
特別悪質な人間には出会いませんでしたが、一度財布が紛失か盗難されてしまったことがあるので油断はできません。
上司も優しい方が多かったのですが、一度けがをすると途端に冷たくなった印象を持ちました。
女性に関してですが、班によっては女性が多いところもあるようです。
私の班とは違いましたが、大体女性は同じグループで一まとめにされて仕事に取り組んでいるイメージを持ちました。
遅番終わりの土日休みは時間が長くて嬉しい
遅番終わりの土日休みは時間が長いので東京まで2時間ほど電車に揺られてお笑いライブを観に行ったり、都内の友人と遊んでいました。
早番終わりの休みは基本近所の大型集合スーパーへ買い物に行ったり、部屋で本を読んだり携帯電話でYouTubeを見たりして過ごす機会が多かったように思います。
寮の近くにファミリーレストランやファーストフード店が多くあるので、そちらに赴いてパソコンで小説を書いてみたりすることで仕事のストレスを発散することも好んでやっていました。
仕事中に煽られることが辛かった
期間工をしていて辛かったことははたくさんありました。
まず、仕事面では周りの同僚に恵まれなかったと考えてしまうことが多かったように自分では思います。
基本的にラインのスピードが速い時は「早くしろ」と煽られることが多くありました。
他でも一つのミスに対して長い時間をかけて指導をして下さるのですが、その間ラインが止まってしまい、またより一層煽られるという悪循環の中で作業を繰り返していました。
あまり満足できなかったことはやはり通勤方法の変更ができない事です。
寮に入ってる以上はバスでしか通勤ができない事が本当に辛かったです。
期間工で自分の時間とお金が作れたので、働いてよかった
期間工として働いて良かったことは、まず入社祝い金が貰えた事です。
本社SUBARUの場合45万円が貰えるという事が一番のメリットだったので、私は丁度祝い金が貰えるタイミングで退職をさせていただきました。
本当は満了まで続けたかったのですが、ケガや精神的苦痛と病気のためやむを得ず退職を申し出たような感じです。
他では気の合う同僚が数人いたため、休憩時間に何気ない話をしたり、休日に飲みに行ったりしたことが特に楽しかったです。
また、寮の周りにはあまり娯楽施設がなく、あってもパチンコ程度です。
私はギャンブルをしないため、あまり利用をしませんでしたが、田舎だけあり公園などでのんびりと本を読めたり、自分の生き甲斐である小説の執筆に集中できたため、その時間が作れたことには、働いて良かったと心から思えました。
モチベーションが保てず期間満了の前に辞めてしまった
私の周りには居ませんでしたが、私がまず契約期間満了の前に退職をしました。
理由は作業工程上で体に負荷が掛かったことによって指が不自由になってしまったり、毎日繰り返しの作業にきがめいってしまい、仕事にモチベーションを保てなくなったため、やる気をなくし、他の仕事をしたくなったからです。
他に数か月病欠を続けている、会ったことのない期間社員の方がいたようですが、彼は噂では、職場の上司のパワハラまがいの行いによって精神病を患ってしまったようです。
現在はシステムエンジニアの勉強をしています
期間工を辞めてからは、システムエンジニアを養成するスクールに通いながら、アルバイトをしている毎日です。今までの経歴に拘わらず、30歳までの人でしたら無料でLinuxやプログラミングの勉強をすることができるスクールで現在は平日に週5日通っています。
時間は10~18時。
3か月~5か月後には就職先の案内とサポートもして下さるようなので、今後卒業をしたらそのまま正社員としての就職を目指すつもりです。
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