約32万円!
寮費も無料
メーカー | 日野自動車 |
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勤務した工場 | 東京都羽村市羽村工場 |
期間工として働いた期間 | 2017年4月~2018年3月の1年間 |
おそらくインターネットで期間工と調べるときついなど悪い情報も出てくると思います。実際に働くと正直きついです。
ただ、それはどの仕事をしても同じだと思いますし、1か月も働くと作業に慣れて体の動かし方などがわかるようになりコツをつかめます。
最初は1週間、そのあとは1か月、そして3か月とそれを乗り越えることさえできれば長く続けることができるようになります。
先輩がしっかりとフォローをしてくれますので、安心して働くことができますので、ぜひ、応募してください。
契約終了の可能性がある派遣社員は不安だった
高校を卒業後、電気工事の会社に就職しました。
その会社が倒産してしまい、派遣の仕事を見つけて神奈川県で自動車関係の部品製造工場で働いていたのですが、その時に働いていた同僚から「期間工のほうが同じような仕事で給料もいいから」とすすめられて働くようになりました。
派遣社員の場合は途中で契約が終了になる不安もありますが、期間工となるとその心配もありません。
お金の心配ももちろん必要なのですが、派遣社員で働いている時よりも不安が少なくなったので、多少大きな買い物もできるようになりました。
期間工は「寮費・水道・光熱費」がタダ!
今後をいろいろと考えてネットで調べているときに、期間工を知りました。
派遣社員で働いているときは、寮費や水道光熱費がかかったりしたのですが、期間工になるとそれが無料になるということが大きな魅力でした。
同じように仕事をしていてもその部分だけで月6万円くらい違ってきますので、年間で約70万円と考えると収入が大きく変わります。
派遣社員で働いているときに期間工で働いていたことのある人から話を聞いてすすめられたことも大きな要因です。
勤務条件は立地が良ければなんでもよかった
期間工に興味を持ってから、インターネットで期間工や派遣社員についていろいろと調べました。
ただ、膨大な量となり正直どのように選んだらいいかはわかりませんでした。
その時に神奈川県で働いていましたので、そこから近くという条件で探しました。
車関係以外にもさまざまな企業がありましたが、日産で働いたことのある人から話を聞くとあまりいい話を聞くことができませんでした。
それで東京に近いということもあり日野自動車を選びました。
勤務地については日野工場でも羽村工場でも距離に差がないためどちらでもよかったです。
日野自動車について口コミとネットで情報収集
当時、派遣会社に所属していましたので、周りの同僚から過去働いていた会社の情報などを聞くことがあり、その中に日野自動車の情報もありました。
それ以外にも、インターネットで期間工など工場勤務の情報を探していて日野自動車の求人サイトを見つけました。
そこに掲載してある情報を確認して面接会の日程などがありました。
全国各地で面接会は行われているようでしたが、私の住んでいる場所から近い場所を探して応募しました。
サイトに記載してある情報を確認して、写真を撮影し履歴書などを準備して面接会にのぞみました。
面接では働く意思を何度も聞かれた
面接の時間は約30分程度でした。
最低限の日野自動車の情報は頭に入れていましたが、特別聞かれるようなことはありませんでした。
聞かれることといえば、一般的なことです。過去の経歴です。どのような仕事内容でなぜその仕事をやめたのか、当時、派遣社員でライン作業をしていましたのでその仕事については詳しく聞かれました。
「実際に働くとなるとかなりきついけど大丈夫か?」という質問が、当たり前ですがしつこく聞かれました。
一般的な常識があれば大丈夫な内容ばかりでした。
残業は多くても1時間で、基本定時で帰れた
私が働いていた工程はファイナルラインという工程でした。言葉通りラインの最終工程でほとんどが完成している自動車が流れ、最後の組み付けをするところでした。
そのファイナルラインに50名くらいいるのでその中でも細かく分かれており数か所担当をしました。
勤務時間ですが、交代勤務ではありましたが、朝は6時30分からで15時20分まで、夜は17時15分から26時5分まででした。
残業はその日によって変わってくるのですが、1時間くらいが多かったですが、定時で終わることもありました。
定時前に放送があり残業時間が知らされるのですが、定時とわかると作業中に隣の人とガッツポーズをしていました。作業をしているとその日の停止時間から、ある程度は予想できるんですけどね。
工場から徒歩5分の寮に住む
寮の場所は徒歩5分で通える場所でしたので、同じラインの人と歩いて通勤していました。
部屋の広さは6畳くらいで冷蔵庫、テレビなど備え付けてあります。寝具も貸してくれるということでしたが、私は自分で購入したものを使用していました。
大浴場がありましたので、よく利用していました。
築年数がたっているようですし、いろいろな人が利用してきたこともありそうなので、とてもキレイなわけではなかったです。
ですが、平日は帰ってきて少ししたら寝るような生活なので、キレイさは気になりませんでした。
ライン作業は隣の人と仲良くなりやすい
人間関係についてですが、社員もいれば同じ契約社員のほかに派遣社員で働いてる人もいます。年齢も20代から50代と幅が広いです。
ただ、ライン作業でしたので、配属されてからは先生がつきます。
わからないことがあれば仕事上のことはもちろんそれ以外でも、その人に相談するようにしていましたので、困るようなことはありませんでした。
作業工程の隣の人とは話しながら作業するようになりますので、すぐに仲良くなりました。ですので、同じラインでも遠くの人で全く話したことがない人もいました。
仕事に慣れると休日も充実してくる
あまりなかったのですが、土曜日に休日出勤があったとき、日曜日は寮でゆっくりしていることが多かったです。
2交代で勤務していましたので、夜勤から昼勤に変わるときは身体のリズムをつかむまでは少し時間がかかりました。
寮から羽村駅は少し離れていますが羽村駅から都内までは1時間もあればつきますので、慣れてきたら遊びに行ったりもしていました。
周りにレンタルビデオ屋や居酒屋も多数ありましたので、寮の仲間と利用をして気分転換をしていました。
仕事の工程が変わると辛いことがたくさん…。
毎日働いていると、肉体的には慣れて楽になったとはいえ、やはりきついものがありました。インパクトをよく使用していますので、腱鞘炎のような症状になることもありました。
辞める人がいるとそこの工程に空きがでることになるので、慣れている工程から移動をして新しい工程を覚えるようにもなりました。
同じような作業ならいいのですが、工程が変わるだけで全然違います。
なにより隣の仲良かった作業者も変わってしまいますので、また新しい人間関係を作らなければいけないのが辛かったです。
期間工で出会えた仲間はかけがえのない財産
期間工としては1年間しか働いていませんが、いろいろとよかったことがありました。
まず、いろいろな人に出会えたということです。出身地もばらばら年齢もばらばら学歴もばらばらでこんなにいろいろな人と出会う機会はなかなかありませんでした。
今でも連絡を取り合っている人もいますし、かけがえのない財産です。
あとは当たり前ですが、自分の仕事に責任を持つことを学ばせてもらいました。自動車を作っているという性質上、少しでもミスをすると不良車となりそれが市場に出回ってしまうと事故につながります。
その車をいつどこで作って事故の原因となった部分は誰が担当していたのかというところまでわかるようになっていますので、任されている仕事に責任を持つ重要性を学び成長させていただきました。
期間工より派遣社員の方が辞める人多い
満了前に辞めた人の理由は様々ですので、一概には言えませんが、ほとんどが別の仕事を見つけた人でした。
残りの人は、工場での勤務経験がない人や年齢的にきつい人などです。
ただ、そもそも期間工で働く人で途中で辞める人はあまりいません。
辞めるにしてもあともう少しで慰労金がもらえるからなど、きりのいいところまで働いている人がほとんどでした。
派遣社員の人も同じように働いていますので、派遣社員の人が途中で辞める方がかなり多かったです。
期間工よりも安定した正社員になることを決意
期間工として働いていた時に、以前正社員で働いていた時の同僚から仕事の話がありました。
そちらの仕事は正社員ではありましたが、給料などを考えれば期間工として働いてるほうがよかったので悩みました。
「期間工としてもう少し働いて慰労金をたくさんもらう」という道もありましたが、給料が低くても正社員ということで、将来のことなどを考えてそちらの道を選びました。
ただ、中途半端な期間ではなく、きりのいい期間までは働いて退職することにしました。
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