27万円!
メーカー | いすゞ自動車 |
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勤務した工場 | 神奈川県藤沢市藤沢工場 |
期間工として働いた期間 | 2014年5月〜2016年3月の1年11カ月間 |
これから期間工として働こうと思っている人は、まずは強い心を持っていただきたいと思います。
ある程度の規模の工場ですから、かなりの人数の人が同時期に入ると思います。
その同期の人たちのことはあまり気にせず、ご自分のペースで無理しない範囲で頑張ればいいと思いますよ。
あまり頑張りすぎても体を壊すだけですし、給料が上がるというわけでもありませんので、まずは無理せず自分のペースでやるということを忘れずに頑張ってください。
前職は、人員削減で退社することに
こちらのいすゞの期間工になるまでは、他の工場で働いていました。
工場といっても車関係の部品を製造しているのではなく、基盤関係を製造している工場でした。
そちらも期間工のような契約社員として働いていましたが、人員削減ということで約3年ぐらい勤めたでしょうか、会社を退社することになりました。
学歴は最終学歴が高校卒業ということになります。
貧しいながらも妻と子供がいるものですから、休職期間が長いと生活をすることができませんので、前の会社を辞める前にこちらの期間工に応募させていただいていました。
条件に合う職場が見つからず、とりあえず期間工に応募
特に期間工をやろうというわけではありませんでした。
こちらを希望したのは、まず日勤と夜勤がありますが、私は以前の工場でも夜勤は経験していたので、できると思いましたし、給料の面でも以前勤めていた所よりも手当てや残業などを含めれば良いと思ったからです。
本来なら期間工というのではなく正社員という形で私は勤めたかったのですが、なかなか条件に合う職場がなかったものですので、とりあえず的な感じでこちらをやらさせていただいたということになります。
妻と子供がいるため住み込みは考えなかった
どうやって情報収集をしたかと言うと、やっぱりこの情報化社会ですからインターネットを最大限利用しました。
ネットを開くと求人情報というのは山のようにあります。
情報だけではなくその情報を扱っている就職斡旋業者もしくは求人情報会社のような会社も山ほどあります。
私の条件はそれほどありません、ただお金が少し良くて自宅から通える範囲であれば後は何とかなると思っていますので。
住み込みなどというのは一切考えていません。
妻と子がいる自宅に毎日帰りたいですものね。
ホームページで情報確認をした
どのようにして求人情報を探したのかと言うと、先ほども少し話ましたが、インターネットを利用して探させていただきました。
私が利用したのはタウンワークという求人情報です。
それだけでは心配でしたので、いすゞが直接募集しているホームページへもアクセスして情報の確認をしました。他にもたくさんこのいすゞの工場の求人はありました。
さらにインターネットではなく新聞の折り込みにも載っていたと思います。
そしてタウンワーク経由でネットでの申し込みはせずに直接電話をして打ち合わせをさせていただきました。
様々な年代の人たちと選考会を受けた
企業選考会にはかなりの人数がいたのを覚えています。
年代も様々でしたね、若い人もいれば私と同い年ぐらいの30代の人もいるし、少し年配の人もいたように思います。
簡単な筆記テストをやったの覚えています。
しかしそれほど難しくなく本当に基礎的な筆記テストだったように思います。
しかしその時忘れられないのはエアコンがあまり調子良くなかったのか、少し寒かったようで、トイレが近くなってしまったのをよく覚えています。
どうしても我慢ができず途中にもかかわらずトイレを借りたのは今でも忘れません。
自動車の指定部品を持ってくる「ピッキング」を担当
私が就いた仕事はピッキングという部署ですね。
自動車の何十何百とある部品の中から指定の部品をピッキングして持って来るという仕事です。
ただし部品といっても似たような部品がたくさんありますので、ちゃんと持ってこないと大変なことになります。
1つでも部品が違うとライン作業の組み立て部署の製造が止まってしまうということになりますので、真剣にやっていました。
一台づつ書類が渡されて、その書類を見ながらピッキング作業をしていました。
一人車一台分の部品をピッキングしてくるという感じで、私一人ではなく数名の作業員が他にもおりました。
それぞれが用紙を見ながら部品をとってくるわけですね。
困るのは、たまに部品が見つからないことがあります。
そんな時はみんなで協力して部品を探すようにしています。
しかし、どうしても見つからない時は、すぐに上司の人に連絡をするようにしていました、組み立てラインが止まっては大変ですので。
自宅出勤のため寮は利用しなかった
寮にはお世話になっていなかったので、自宅についての暮らしぶりについてお話をさせていただきます。
妻と子供がいますが、生活はそれほど楽ではなかったので妻には申し訳ないですがパートをしていただいていました。
そのパートが土日も仕事ということが多かったので、休みの日は私が子供の世話をしているような感じでしたね。
ただ子供大好きなので子供と二人で色々な所へ遊びに行ったりショッピングしたりとっても楽しかったですよ。
職人肌の先輩とは付き合いにくかった
職場での人間関係についてはそれほど問題はないと始めのうちは思っていました。
特に上司になった人は比較的若いにも関わらず、とてもよくしてくれた思い出があります。
しかし問題だったのそこの職場で既に私よりも先に勤めていた先輩でした。
その人も私と同じようにおそらく期間工のような契約社員だったと思います。
この人は、よくいる職人肌の人なのであまり口に出して説明をしてくれたりということがなかったのでとっても付き合いにくいということがありました。
私は新人ですからとりあえずは聞かないと何も仕事ができませんからね。
休日は子供と過ごしてストレス発散
休日は妻がパートで家にいないことが多いので、そのような時が私が子供と一緒にお出かけをしたり買い物に行ったりと、休んでいるような暇はありませんでしたね。
妻も働いていますから、家のことはお互い様でそれぞれが協力をしあってやっていましたから、一日中ダラダラしているということはできませんでした。
でも子供と一緒に何かしている時が私にとってはストレス発散なのかもしれません。子供と一緒に食事をつくったり、なんていうことは日常茶飯事でしたよ。
一番辛かったのは「正社員との待遇の差」
期間工として働いてつらかったことは、やっぱり正社員と違ってボーナスなどがない、休めば休んだだけお金が減ってしまう、というようなことだと思います。
やっぱりお金あっての生活ですからね。
お金が減ってしまったら当然生活も苦しくなりますし、生活が苦しくなれば心に余裕がなくなってしまい何も考えられない状態になってしまいますからね。
やっぱりお金の心配が一番だったと思います。
それ以外は特に気にしたことはありません。
期間工というのはこんなもんだと思って働いていましたので。
期間工で仲間と出会えたことが一番嬉しい
働いてよかったと思うことは、仲間と出会えたことですかね。
金銭面に関しては期間工としては平均的なものだと思いますのでそれほど良かったということはありません。
新しく同時に入った仲間たちがたくさんいたので、例え部署が違ってもお昼休みとか帰り際にあったりとかした時は話が盛り上がったのをよく覚えています。
同時期に入ったということで、同志みたいな感情があるのかもしれませんね。
特に同世代ということはなく、私よりも10歳以上年上の人でも、私よりも若い人でも気が合えばどんな人でも私は受け入れました。
働いていてやっぱり良かったのは、このような話のできる仲間ができたということが嬉しいことですかね。
こちらに来る以前にも工場で働いていましたから、工場の仕事の雰囲気というのは大体知っていましたので、それほど新鮮さというのもありませんでした。
体調を崩して、数日で辞めた人も
私の周りに契約満了前に辞めた人というのは何人かいます。
やっぱり一番は工場の仕事に慣れていない人が、昼金と夜勤の両方をやったり、夜勤だけメインでやったりと慣れていないせいもあり、体調を崩してしまったという人がたくさんいました。
その他には仕事が辛くて辞めたという人もいますね。
車関係の工場なので一つ一つの部品が重いものが多いです。
細かい部品もあるのですが、基本的には肉体労働ですよね。
たとえ若い人でも体力にあまり自信のない人は、早い人で2週間で辞めてした人もいますし、数日で辞めちゃったという人も私は知っています。
次の仕事のために、働きながら勉強をした
期間工の契約満了後、私は働いている間、自分で何か仕事ができないかと考え、ずっと勉強をしていました。
そして、その仕事もなんとかできるようになったので、そちらの期間工を辞めてからは自分で仕事をさせて頂いています。
仕事は自宅でできる仕事なので子供と接する機会が増え、子育て的にはとても良いと思っています。
ただしかなりの集中力がないとできませんね。
自宅ですから、強制するものが一切ありませんので大変ということもありますよね。
収入がまだ不安定なので週に3回アルバイトをしてなんとかつないでいるところです。
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