
29万円前後!
メーカー | マツダ |
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勤務した工場 | 山口県防府工場 |
期間工として働いた期間 | 2013年6月〜2016年5月の3年間 |
多分、何事も始めは辛いです。作業に慣れてきたら少しは楽になります。
僕はしませんでしたが、職場の人と仲良くなったらもっと楽になります。
期間工とか関係無く、なんでも『楽』という字は『らく』なのではなく『たのしい』というものなのだと思います。楽しい職場だったら仕事自体が辛くてもなんとかなると思います。
辛かったとしても、ゴールがある『期間工』なんですから、契約期間満了、そして契約満了金を目指してまずは半年頑張ってみてください。
高校卒業後はバイトや派遣で転々と過ごす
学歴は山形県の工業高校卒で、それまでもバイト等を転々として、山口県に来てからは派遣会社でマツダの下請けのメーカーで働いていました。
残業時間なども下請け勤務時代と変わらないどころか、下請けはマツダに納品しなければいけない為にトラブルで生産が停止してもその日のうちに間に合わせなければならず、日をまたいで残業する事もありましたが、マツダでは残業時間に制限があるので、そこまで遅くなるような事は無く、夜勤も無い現場にいたのですが、それでも収入は多かったです。
経験を活かすために、大元のマツダの期間工として働く事を決意

やはり市内で最大手の企業でしたし、それまで下請けのメーカーを転々としていた事もあって、大元に行こうという考えでマツダに行きました。
大手だけあって仕事もきついだろうという不安もありましたが、それまでの工場経験から、やっていればいつかは慣れると思い面接する覚悟が決まりました。
何よりも、収入面で大きな差が出るし、正社員登用制度があったので安定した高収入の為には辛いという泣き言は言っていられませんでした。
派遣会社からの紹介で、採用試験が優遇される
山口県に来た頃にしばらくお世話になっていた派遣会社に相談したところ、「派遣とは違うけど」という事で派遣会社からの紹介で期間工として面接を受ける事になりました。
面接を受ける前に派遣会社で行われる簡単な技能診断を行う際に、少し甘めに設定して貰えたりと、多少の優遇はあったと思います。元々そこまで劣っていたわけではありませんが。
勤務地については、自転車通勤で可能な範囲で考えると、やはり市内を出るのは難しかったので、防府工場を選びました。

マツダ防府工場は常に期間工の募集が行われている
僕は派遣会社に「正社員登用制度のある防府市内の会社を紹介してください」という希望をして、マツダ防府工場を紹介してもらえましたが、防府市では求人誌の裏表紙や、家にポスティングされるフリーペーパーなどにしょっちゅうマツダ防府工場の期間工求人が載っているし、コンビニ等でもよく目にする機会があると思います。
ハローワークや求人サイトでもマツダはすぐに出て来るので、探そうと思えばいつでも募集しているしすぐに見つかると思います。

選考試験は簡単な計算、漢字試験。技能テスト、身体測定も
筆記は軽い計算問題(数字の羅列があって、隣の数字と足して答えを上に書くというもので、一桁の計算をどれだけこなせるかというもの)と、漢字の読み書きがあったと思います。
中学生レベルというか、日常で使用するレベルのものなのでそこまで難しい問題では無かったと記憶しています。
あとは身体テストとして、10個くらいのボルトにナットを入れる技能テストだったり、反復横跳びなどで身体の能力を測定したりしたように記憶しています。
日勤がメインで残業も少ないが、力仕事で大変だった

仕事は車体の組み立てで、当時は8時25分~17時10分までの日勤のみでした。残業は多くても19時40分まででした。
僕はフロント部分の配線取り付けを行っていて、主にヘッドライトやエアバッグのセンサーなどの重要な配線を担っていました。
作業内容は生産計画によるラインスピードの変更によって増えたり減ったりしているのですが、一時期ボンネットを開ける作業が加わった時は一日500台以上のボンネットを持ち上げて開けなければならず、元々力仕事が向いていない体格でもあり、背中を痛めてしまい歩くのが困難になったほどでした。
それでも病院通いに筋トレとなんとかカバーを続けて、どうにか慣れる事が出来たのできつくはなくなるようです。
マツダ期間工として働く事で明らかに収入が増えた
寮もありましたが、当時は彼女の実家に住んでいたので、特に変わりは無かったです。
マツダで働いて変わった事と言えば、家に入れるお金が増えた事です。
他にも金銭面での変化になってしまいますが、通勤退勤の途中にいくつかあるコンビニでの買い物に躊躇が無くなったくらいです。
それまでも通勤経路にコンビニはありましたが、収入面から我慢する事は多かったのですが、マツダ勤務時代は何も考えずに買い物できたのは良かったです。
毎月飲み会費の徴収があった
個人的な考えとして、あくまでも当時は期間工だったのでいつか去る時が来ると思い仲良くなるような事は無かったです。
その前の派遣社員として転々としている時もそうでしたが、定年までその会社にいるわけではないし、仕事をしに来ているのだから余計な話は必要無いという考えなので、特に誰かと仲良くなるような事は無かったです。
マツダでは強制的に会費を毎月徴収されるので夏と年末の飲み会には参加しましたが、特に仲良くなるような事は無かったです。
収入アップのおかげで、遊びや買い物も好きなだけできた
お金に余裕があったので、よく福岡や広島に買い物やライヴに行っていました。
ファッションが好きなのですが、山口県では店が無く買えない為、たまに近県に出る事が必須でしたし、バスや宿泊代も問題無かったです。
県外に行かずとも、外食がしょっちゅうあったり、とにかくお金を使う=休日という感じでした。
あまり家にいる事が無かったように思えますが、パソコンを買ったり家電製品を買ったり家の中での物も良いものに変わって行ったと思います。

正社員と比べると、期間工への対応が良くない
辛かったことは職場にもよるかもしれませんが、『正社員』と『期間工』で職長からの対応に差別があったように感じた事です。
例えば、頭痛など軽度の体調不良を訴えた場合に正社員はすぐに早退させて貰えたりと対処して貰えますが、背中を痛めて作業難しいと申告した際は「皆何処かしら身体を痛めて頑張ってる」の一点張りでした。
まだ倒れてないから大丈夫とも言われましたが、実際に倒れてからでは遅いだろうと思いつつもやるしかありませんでした。
期間工の良いところは収入が間違いなくアップする
とにかく、収入増という面が大きいです。というよりも、そもそも車に興味が無いのでそれしかメリットはありませんでした。
社風も飲み会も職場の人も何もかも好きではなかったので、三年間の『契約期間満了』というゴールがあったからこそ頑張れたと思います。
正社員登用試験も受けましたが、何度も落ちたし、この会社で定年までやっていくのは辛いなぁと思い始めてからの半年は本当に辛かったです。
最後の登用試験は受けなかったし(職長からそこでも理不尽に怒られたのは納得いきませんが)、最後の勤務日の解放感はそれまでの連休ごとにあった解放感とは違ったものでした。
『終わりがある』というのが期間工としての良かった事だと今でも思います。

入社祝い金、契約満了金目的で1カ月で辞める人が多い
大体が契約から一か月で貰える入社祝いと契約満了金を貰ってやめて行く人が多かったように思います。
実際にほかの期間工の人と話した際も、そういった旨の事を言っていましたし、次の仕事を決めるまでの繋ぎなど、基本的には金銭目的でしか無かったと思います。
期間工に限らずですが、実際にやってみたら作業が辛かったり社風が合わないという人もいるでしょうし、一概に全員が金銭目的とは言えないとは思いますが、僕の周りは金銭目的が多かったです。
仕事のやりがい重視で正社員の職に就く
余裕のある収入に合わせて出費も増えていたので、少し遊んでから仕事するという期間も無く、ハローワークで正社員としての仕事を探しました。
金銭目的で辛いだけの仕事を選んだためにやり甲斐も何も無くただ辛いだけの作業期間だったので、今度は多少収入は減っても楽しんでやれる仕事にしようと思い探しました。
契約期間が終わる前に面接や入社日を決めていたので、マツダを辞めて翌日から新しい職場だったので気持ちの切り替えが大変でした。
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