手取りで26万円!
家賃も無料
メーカー | 太陽誘電ケミカルテクノロジー |
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勤務した工場 | 群馬県高崎市藤岡工場 |
期間工として働いた期間 | 2013年7月〜2014年6月の1年間 |
短期の雇用でも構わないという方はやはり、金銭面で困っている方が多いでしょうから、一番には給与面を重視するでしょう。それは自然な事だと思いますし、実際に私もそれを第一に求人を絞り込みました。
ですから、二番目には、勤務する会社のネームバリューを重視するべきだと思います。業務内容が大した事なくても、誰でも聞いた事あるレベルの名前の企業で働いていたという点は、その後評価・注目を集めるポイントになれるのではないかと思うからです。
失業してから借金がかさむように
高校を卒業後、NTTの関連工場でシリコンウエーハの製造の仕事をしていました。地元ではそこそこ大きい方の企業であり、収入面でも満足がいく良い職場だと思いっていましたが、入社から5年後、本社判断による生産拠点の移転に伴い、工場の閉鎖が決定。一瞬にして失業者となってしまいました。
就職活動を行いつつ、コンビニのアルバイトでつないでいましたが、わずかな貯金を切り崩しながらの生活となり、徐々に借金もかさんでしまいました。
高収入な期間工に魅力を感じた
「正社員以外は生活がまともに暮らしていけない」という先入観があったため、はじめは正社員以外の雇用形態にとても抵抗がありました。
しかし、アルバイト生活でかさんでしまった当面の借金をなんとかしなければと思い、意を決して非正規雇用も視野に入れて就職活動をすることにしました。
そうして仕事を探していた中で、自分でも採用してもらえそうな仕事の中で、期間工と派遣社員のどちらとするかで迷いましたが、期間工の方が雇用期間は不安定なものの、収入が高いことに魅力を感じ、応募しました。
職務経験を活かせる工場に応募
はじめは職業安定所や大手の転職サイト、コンビニのフリーペーパーで情報収集していましたが、
自身の職務経験を活かせる工場の仕事というのはそういった媒体にはなかなか求人が上がってこないことに気づき、大規模ではないものの、製造系の求人に特化したサイトに的を絞って探したところ、高崎市にある工場の求人を見つけました。
自身の経験を活かせる精密機器の製造であることと、半日もかからずに都内へも足を運べる地理的条件が気に入り、応募しました。
寮あり.comで社員寮付きの求人を探した
県外で働くことも想定していた私は、引越しの初期費用をなんとか抑えたいと考えていたため、
『寮あり.com』という、社員寮付きの求人専門のサイトで探していました。
大手の派遣会社が運営していたサイトということもあり、ネットから応募したところ、最寄りの事業所を案内していただき、そこで実際に求人内容の詳細を教えてもらいました。
応対してくれた派遣会社の方の説明はとても細かく丁寧で、事前に抱いていた不安や不明点はほとんど解消できました。
選考は実技と面接の2つ
選考は主に、両面に小さな文字が書かれた、タテヨコ5mm程度の小さなチップを、ピンセットを使って10分以内にどれだけ掴み取り、マス目で仕切られたトレイの中に、文字の向きが正対となるようにきちんと収められるかを測る実技と、派遣会社の方による面接の2つで行われました。
ある程度は事前に質問内容の傾向などを教えていただいたものの、やはり緊張しました。
後で聞いてわかったのですが、面接で聞かれた質問項目は、工場が派遣会社に求める人物像から参考に作られたそうです。
勤務中は立ちっぱなしの体力勝負
私が担当していた工程は、シリコンウエーハを裁断装置にセットし、プログラムを選択してスタートさせるというものでした。
作業内容自体は誰でも出来るような簡単なものでしたが、稼働している装置の数が膨大であったため、必然的に1人あたりが担当する台数はかなり多かったです。
また、メンテナンス後に不具合が生じた装置のあるエリアの担当となると、その装置で生産される製品の出来栄えが基準値内に収まるまで調整が必要になるため、3〜4時間の長い残業となるケースもしばしばありました。
また、作業自体は細かでしたが、床に堆積したゴミなどが身体につかないよう、地べたに座るのはもちろんNGでしたし、さらには椅子もなかったため、勤務時間中は立ちっぱなしでした。そのため、知識や集中力よりも体力勝負という面が強かったです。
家具備品が揃っている寮で生活
自転車で10~15分程度の住宅の立ち並んだ場所にある、6畳半程度のアパートを社員寮として割り当てられました。
アパート自体は建築10年程度で新しいものでしたし、家具備品もほとんど用意されていたので、新しく家具家電を買うなどの必要はありませんでした。
また、スーパーなども近かったため、生活面で不便に感じたことはあまりなかったです。
ですが、同じアパートには他の職業の方も当然住んでいらっしゃったので、昼夜交代制の私と生活時間帯が合わないこともあり、時たま生活音などで注意されたこともありました。
良い人は多いが仕事中は終始無言
基本的には良い人が多かったのですが、私の工程は口数の少ない方が多く、それぞれ黙々と作業をしていました。
また、自分の事をあまり話したがらない方が多く、積極的にプライベートに踏み込んだ話をしようとする人を疎んじる空気があったように思います。
そのため、職場でのコミュニケーションは業務に関することにほぼ終始し、その人のパーソナリティなどを知る機会はほとんどありませんでした。そういったアプローチで人と仲良くなる方法が得意な方には少し厳しい職場だったかもしれません。
ストレス解消に散財をすることも
借金返済という元々の目的があったため、大半は自宅でおとなしく過ごすことが多かったです。
しかし、何かとストレスのたまりやすい職場環境だったという事もあり、時折新幹線に乗って都内に出かけ、買い物や映画鑑賞など、散財をストレス解消の手段とする事で休日を過ごす事もありました。
給与が多かった月には都内で一泊して、2日連続で夜通し遊んだり、居酒屋で飲み浸るなどしていた頃もありました。
また、誰かと一緒に過ごし事は一度もありませんでした。
次につながる経験が積めないのが辛かった
自身としては、あわよくば期間満了後も同じ工場で働ければ、なんとかして正社員雇用される方法はないかと思い、積極的に正社員が担当している業務も覚えようと試みました。
しかし、契約上の決まりごともあったとは思いますが、それ以上に、非正規は非正規の仕事さえやっていれば良い、という分担の意識が社内では強く、あまり業務を勉強させてもらえませんでした。そういった意味では、次につながる知識や経験を積めていないとわかりながら働く事。これが一番辛かったです。
入社前にあったすべての借金を完済できた
やはり他の非正規雇用よりも収入がよいという点が最大の魅力であると思います。私の場合は給与の良さに相まって、さらに寮費も無料という特典がついていたため、入社前にあった借金はほぼすべて完済できました。
もし、期間工としてあのとき働けていなかったら、今の落ち着いた生活環境の自分はなかったかもしれません。
ですから、こういった私の実体験もあり、金銭面で困窮し、身動きが取れなくなってしまった人にとっては、最も有効な働き方ではないかと、私は思ってます。
また、1年という短期の雇用期間が、私にとっては良い方に作用しました。職場はお世辞にも居心地の良い職場だったとは言えなかったため、なんども途中でやめようかとも考えましたが、その度に「あとこれだけ我慢さえすれば辞められる」と自分に言い聞かせて仕事を続けていました。
昼と夜の交代制に慣れず辞めた人も
満了前に辞めた方の大半は、昼と夜の2交代制に身体が慣れずに具合を悪くしてしまった事が理由でした。
私は前職でも2交代制でしたのでそこそこ慣れてはいましたが、勤務時間中立ちっぱなしというのは初めてでしたので、
多少体調面では参ってしまいました。ですから、過去にこうした勤務体系を経験していない方が辞めてしまうのも、無理はなかったのかもしれません。
また、工程間で上司の当たり外れが大きく、大声で激しく叱責する上司の工程では、ほぼ毎月のように誰かが辞めていたように思います。
期間工のあとも派遣社員として工場に勤務
期間工での職務経験は、その後の就職活動ではほとんどと言っていいほど評価されませんでした。
やはり、応募すればほぼ誰でも働けるという、どんな仕事でもありつきたいという方にとっては救いとなるその間口の広さが、採用する側から見れば「専門的な知識やスキルを習熟していない職務経歴」と、逆にデメリットとして映ったのではないかともいます。
結局、非正規に抵抗がなくなっていた私は、そのまま別会社の派遣社員となり、同じような工場に勤務しています。
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