【トヨタ車体期間工(吉原工場)の体験談】肉体的にも精神的にも鍛えられた

のりちゃんさん(男性/22歳)が期間工で稼いだ平均月収

27万円前後!
家賃も無料

メーカー トヨタ車体
勤務した工場 愛知県豊田市の吉原工場
期間工として働いた期間 2010年4月〜2013年4月の3年
のりちゃんさんからのメッセージ

これから初めて期間工として働こうと思っている方へのアドバイスやメッセージは、ある程度でいいから雑誌やインターネットなどでリサーチをしてから工場を決めたほうがいいのではないかと思います。

トヨタ以外でも三菱、日産、スズキなど工場は多数あります。

また、車のライン作業に抵抗がある方は、部品の点検やはんだ付けなど、作業は多数にわたりますので自分にあった仕事はなんなのかなどを考えて、決めていってはいいのではないかと思います。


期間工の前はヤマト運輸で働いていた

期間工になる前はヤマト運輸で働いておりました。
ヤマト運輸では契約社員で、週に4~5日程度働いておりました。
勤務時間は、多いときで8時間、少ないときなど4時間勤務などがありました。

暮らしは実家に住んでおり、食費や、生活費などはかからなかったです。
しかし、やはり親の目や世間の目があることなどから家には居づらいところもありました。

学歴は公立高校卒業で、商業科を出たので、簿記などの資格があります。
専門学校には進まず、高校卒業した後ヤマト運輸に就業しました。

友人を通じて期間工の存在を知る

期間工は、友達を通じて知りました。
もうすでにそこで働いている友達がおり、僕も行ってみようかなという気持ちになりました。

何故かというと、当時働いていたヤマト運輸ではあまり給与が私自身が思っていたほどに貰えなかったり、人間付き合いもあまりうまくいっていなかったからです。

そこで、友達がいっていることを知り、車工場の期間工を雑誌やネットなどで調べたり、直にその友達に聞いたりして情報を集めました。

今思うとその友達がいないと車の期間工では働いていなかったと思います。


友人、求人誌、ネットなど様々な情報収集を行う

情報収集は、その友達による体験談や、工場の様子などを直で聞くことが一番だったと思います。

それ以外に、求人情報雑誌や新聞、インターネットなどでの検索もかかせませんでした。

色々なメーカーがあった中、やはり一番有名とされているトヨタに行くことに決めました。
なぜかというとその友達も行ってることや、現に私自身もトヨタの車が好きだったからです。

そして、トヨタと言うとやはり愛知県豊田市がいいのではと考え、そこの工場に決めました。

友達から生の情報が聞けたのが決め手

どうやって求人情報を探したのかというと、やはり友達からの生の体験談が大きかったと思います。
そこでの工場の様子や、働き方、寮の様子や、交通の便、その地域の様子などことこまかく聞けたことが良かったと思います。

そして友達が期間工として働いている会社に紹介してもらい、現地に向かって面接や、身体検査や、写真撮影などを行いました。

雑誌や、インターネットなどでも探したのですが、やはり友達がいる所のほうがいいと思いそこの工場に応募しました。

選考内容は面接、身体検査

面接ではその前に書いてきていた履歴書を提出しました。
10分ほど目を通してから面接が始まりました。
その時は私一人での面接となりました。
普通のアルバイトでする面接とはあまり変わりはなく淡々と行われました。

普通の面接と違うのは写真撮影や身体検査などが行われたことじゃないでしょうか。

履歴書には写真は貼って提出したのですが、顔のアップ写真、体全体の写真、背を向けての写真、計5枚ほど撮りました。

身体測定などは、体重、身長、視力などを測りました。

担当業務はライン作業を担当

仕事はライン作業を行いました。
車の部品が流れてくるところに溶接したり、それをとってウエス等で磨いたり、悪い部品などがあると他の部署に持っていき検査してもらったりと、業務は多岐にわたりました。

きつさとしてはクーラーなどはなく扇風機が完備されていたのですが、やはりなれるまでは熱く、毎日疲弊していました。

勤務スケジュールは、基本的には週休2日でした。
しかし、繁忙期などでは休みはなく毎日出勤していました。
時間帯は基本的には午前8時から午後5時が定時とされています。

何も問題もなく、今日は平和だな、と思う日は定時で帰社できました。

残業などは繁忙期の時期は凄く多かったです。
だいたい1日3時間は当たり前でした。

寮は2LDK のマンションで一人暮らし

寮での暮らしはあまり問題はありませんでした。
寮の名前は名前があったかどうかすらも分からない状態です。

立地は非常によく駅から徒歩5分位のところに位置していました。
通勤時間は毎日送迎がくるので15分位の道のりを工場まで送迎してくれました。

間取りは2LDKと1人には広々としておりました。
設備は普通のマンションとは変わらず一般的な設備は整っておりました。
ガスはIHでした。
トイレ、風呂は別だったのが嬉しいところでした。

外観は古いイメージを持ちましたが、中は綺麗でした。

上司先輩は厳しかったが、同僚とは仲良くしていた

職場での人間関係は非常に厳しく思えました。

上司は厳しく、毎日ライン作業際で、作業状況を見て回っていました。
同僚は同じような環境でここに集まってきたんだなと思うくらいの人達で、すぐ打ち解け仲良くなりました。
先輩はやはり上司同様厳しく、ミスなどをすると怒られることもありました。
後輩は私がいるうちは入ってこず、私や同僚が一番下でいつも可愛がられていました。

女性はそのライン作業の部署にはいなく、寂しい思いもしました。
工場にも男性が多数を占めました。

駅や買い物する場所に近く、休日は不便なく過ごした

休日の過ごし方と言うと近くに駅や、買い物する場所もあり、そこら辺での遊びには困ることはありませんでした。

また、その当時はパチンコなどもしており、働いて貰った給与をそこのパチンコ屋に半分は持ってかれるという状態が続きました。

TSUTAYAや、レンタルサービスを行っている商業施設などもあり、DVDや漫画などを借り、家で視聴することが多かったです。

飲食店なども多く、食べるものや、夜の飲み会などはそういう所に出向き、休日を楽しみました。

肉体労働がつらく、その割に給料が安かった印象

期間工として働いてつらかったことといえばやはり体力がもつかというところが大きかったです。

運送業で働いていたとはいえ、最初のうちはやはり肉体的にきつかったところもありました。

周りの助けや助言もあり、その助けで続けていけたのではないかと思います。

あまり満足できなかったといえば、友達の体験談や雑誌に書いている以上の給与ではなかったというところでした。

時期や、働く部署のこともあったと思いますけど、私自身思っているほど稼げませんでした。

大手企業で働くという貴重な体験をした

期間工として働いてよかったことはやはりいい勉強になったことではないかと思います。

生きていて一度は働いてみたかったところでしたから、そこで働けて、そこの人や地域に触れられて勉強になったことは凄く自分の人生で大きいことだと思います。

また、体力面でも成長でき、筋骨隆々とした体になれたことは、お金をもらいながらそういう体になれたことである意味得をしました。

金銭的には納得がいくところではないところもありましたが、普通のアルバイトやましてや会社員よりかは多かった面では当時凄く贅沢でき、いい生活ができていたのではないかと思います。

また、そこでの友達もでき、今でも電話やメールなどをする付き合いをさせていただいています。

肉体的にきつく辞めていく人が多数いた

周りに契約満了前にやめた人は私の知る所ほとんどの人ではないかと思います。
やはり肉体的にきつかったのでしょう。
僕も何度も辞めようかと考えたことがありました。

昨日いた同僚が今日の朝にはいなかったり、置き手紙をして夜逃げしていたり、そういうことが多かったです。

後、先輩や上司、同僚とうまくいかず、精神的にも追い込まれて辞める人も多かったと思います。

自分の故郷に帰り、そこでまた働き口を探すのだろうと思います。

満了後は建設業への道を進む

期間工の契約満了後、そこでの体験や経験を活かし、建設業に進みました。

肉体面、精神面にはそこを出る頃には自身を持っていましたから、躊躇せずその業界に勧めました。
建設業では主に肉体を使います。

期間工で働いていたライン作業で培った肉体や精神がそこで今でも活躍しています。

上下関係もうるさいところがありますが、期間工までとはいきません。
今でも期間工での経験がおおいに活躍し、自分のためになっていると思います。

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