【ダイハツ九州期間工(大分県)の体験談】フリーとしての足固めが実現

サットさん(男性/34歳)が期間工で稼いだ平均月収

25~30万円!

メーカー ダイハツ九州
勤務した工場 大分県中津市ダイハツ九州本社工場
期間工として働いた期間 2017年4月~2018年3月の1年間

初めて期間工として働く方は色々不安もあるかと思います。

得意なジャンルと不得意なジャンルがある中で、しっかり自分の特性を見極め無理のない環境で働くことをお勧めします。

また、期間工として何をやりたいか、期間満了後に自分がどうなっていたいかといった目標をしっかり持ち、日々の業務に取り組むことで、楽しさも見つかります。

色々とマイナスイメージが先行している期間工という仕事ですが、環境がマッチすれば最高の労働環境だと思います。


期間工の前は、音響会社で勤務

大学を卒業後、ガス会社で工事や戸建て住宅の保安点検に従事しておりました。

その後、地元中津市に帰郷し10年ほど音響会社で正社員として働いておりましたが、さらなるスキルアップのために退職しました。

ただ、10年ほど土日の休みがない状況で働いておりましたし、今後のために生活費を得たいという思いから派遣を検討しました。

期間工になるまでの暮らしぶりとしては、正社員なので仕事的には安定はしていましたが、給与も20万円に達することもなく福利厚生面もあまり充実していませんでした

期間限定で働ける期間工へ

私は就職したい業種があったので、そこに就職するまでの繋ぎとしてお金を貯めるのと生活を維持するのを目的に期間を決めて働きたかったのですが、アルバイトや正社員としては期間が限定されると採用側も渋ってしまうだろうなと考え、期間工を考え情報収集を行いました。

正直、今まで働いたことのない業種ではありましたが、将来への目標のためというのと、期間限定でのお仕事なので違う経験をしたいと思い、未経験者でも楽しく仕事ができることを知りやろうと思いました。


知り合いが多く働いているダイハツ九州で働くことを決意

ダイハツロゴ

大分県北地域はダイハツ九州を始め、自動車産業の関連工場が多く割と工場の仕事というのは身近にありました。

また知り合いや友人も正社員・派遣・期間工として工場で従事していて、仕事内容や給与福利厚生などもある程度ヒアリングから把握できました。

県外に出て寮に入り、仕事に集中できる環境も考えましたが、せっかく地元に期間工として働ける環境があるのだから、微力でも地域の産業に貢献したいと思い、大分県中津市を中心とするエリアで勤務地を探しました。

知り合いの派遣会社社員からアドバイスをもらう

まずインターネットでどのような求人が出ているかを検索しました。

勤務地は決まっていたので、期間工としてどのような仕事があるか調べた上で、自分なりの条件を固めシミュレーションをしました。

その中で直雇用や派遣会社からの入社という選択肢がありましたが、知り合いがもともと派遣会社で営業を昔していたので、その方にアドバイスももらいつつ、時給や仕事内容を加味して自分の条件に適した派遣会社の方を紹介していただきました。

派遣会社の人との面談を行う

派遣会社の方との面談はファミレスで行いました。

履歴書を確認いただいたのちに、今回期間工として働きたい動機や、正社員として働いていた会社での現状把握をしていただいたのちにどのくらいの頻度で働けるか、どういうところで働きたいか、希望する給与などの具体的なヒアリングをされました。

筆記テストに関しては2項目あり、時間内に簡単な足し算を解いて記入していくものと、同じく時間内に決まった簡単な記号を記入していくテストがありました。

電装セクションの工程を担当

仕事内容は新車の納整作業をする工場(PDIセンター)で、電装セクションでの作業を担当しておりました。

主にナビやドラレコ・ETCの取り付けを行っておりましたが、繁忙期にはバンパーエアロ取り付けなどの重架装業務も入ってきました。

単純な作業ではなかったので覚えるまでに時間がかかりました。

私は手先が器用ではないので、配線作業やステッカーの貼り付けなど、大変苦労しましたが、3ヶ月ほどで一通りの作業はこなせるようになりました。

作業台数としては取り付け項目により変わってくるのですが、1日平均6~10台ほどでした。

残業がかなり多く、定時は8:30~17:30なのですが、常に21:00は過ぎるような状況でした。その分しっかり稼ぐことができました。

PDIセンターの中で一番勤務時間の長いセクションでしたので、工場内では一番ハードな環境だったと思います。

寮はきれいなワンルームタイプ

私は自宅からそのまま勤務することができましたので、寮には入っていません。
自動車通勤が可能でしたので30分ほどかけて毎日通勤しておりました。

私の自宅は戸建てで両親と同居しておりました。
祖父の代からの家なので築50年ほどの昔ながらの日本家屋です。間取りは5LDKです。

同僚の中には寮に入っている方も多く、出身地としては近隣の北九州から遠くは岩手などかなり幅広かったです。

寮に遊びに行ったこともありましたが、綺麗なワンルームで工場から徒歩10分ほどのところで多く単身者向けのマンションがあるエリアでした。

人間関係はあくまでも工場内での関係

男女比は半々くらいで年齢も10代から60代と幅広かったです。

全体の人数は30人程度でしたが、グループとしてはセクションごとか年齢が近いところで固まることが多かったです。

全体的には和気藹々とした環境ではありますが、セクションごとの陰口が多かったように感じます。

また仕事を丁寧に教えるというよりはまずやってみせるというスタンスでしたので、失敗をして不良を出した時の当たりがきついように感じました。

休日にみんなで何処かに行くということはほぼなく、工場内だけで完結する関係でした。

休日は自宅休養中心で、長期休暇は貯めたお金で旅行も

休日は日曜日のみでしたが、体力を回復させるために自宅で休養していることが多かったです。

寮に入ってた方は中津市周辺を観光したりパチンコなどをしていてリフレッシュしていたようですが、私に関しては生活している周辺環境が変わったわけではないので割と外に出歩くことはなかったです。

GWとお盆と正月と長期連休がありましたが、その時は旅行に行きリフレッシュをしました。

割と忙しく過ごしていたためお金も貯まっていたので、旅行時にはお金のストレスはなく楽しめました。

経験者と比較されたことがつらかった

まず、全く異業種からの転職でしたので工具一つの使い方から満足にできない状況が辛かったです。

特に同時に入社した方が経験者でしたので、その方と比較されるのも辛く感じました。

また作業で失敗した時には特にフォローもなくただ怒られると行った状況でしたので、何が失敗したのかわからない時さえありました。

勤務時間が長くずっと一日中工場にいるということで、外に出たいなというのは常に感じていました。

外に出る仕事をしていた方にはかなりギャップがあると思います。

車を治すスキルが身について、友人から頼られることも

働いてよかったことはスキルを身につけられた点です。

正直今の仕事には直接的に役立つことはないですが、もともと車は好きだったので、電装作業についての知識を深めることができよかったです。

電装系のトラブルについての対応はできるようになったので、友達にも頼られるようになったのも嬉しいです。

カーショップに頼むと数万円の工賃が発生するところを自分で作業ができるようになるのはかなり大きいと思います。

あとは、作業時に車の運転を頻繁に行うので、駐車スキルが上がりました。

また、残業がかなり多かったので自分が想定していた以上のお給料をいただくことができました。

正社員として働いていたことより給与面で充実していたので、生活への不安は一切ありませんでした。

勤務時間の長さで辞めていく人がいた

辞めていく人が数名いましたが、勤務時間が長いことできつく感じやめる方が同じセクションでは多かったです。
あとは単純に仕事が覚えられないという方もいました。

また普段の生活がだらしなくそれが仕事に影響してやめてしまったという方もいました。

給与の前借りができたので、それでギャンブルや飲酒を行い、仕事へ専念できる環境になかった方もいました。

退職者の比率としては自分の勤務していた工場では期間を満了した方の方が少なかったように感じます。

満了後はフリーランスとして活動中

期間満了後に、フリーの音響オペレーターや編集者としての活動を始めました。

ある程度貯金が貯まったので、自分の目指す業界でのスキルアップを図りたいと思い、現在は色々な現場で経験を積みつつ、人脈を広げています。

期間工として働いていた期間があったから、じっくりとそういった動きに専念できる今の環境があるので、結果的に期間工として働いたことに後悔は一切ありません。

今後はしっかり足場を固め、今の仕事だけで一生食べていける状況を作りたいです。

サットさんのダイハツ九州評価は…
3.5

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