25万円!
寮費も無料
メーカー | 日野自動車 |
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勤務した工場 | 東京都日野市日野工場 |
期間工として働いた期間 | 2015年12月~2016年2月の3ヶ月間 |
期間工は確かに仕事に慣れるまで、体力がついてくるまではとても大変なお仕事です。
ですが、その辛さを乗り越えた先には、普通の仕事ではもらうことのできない金額のお給料を稼ぐことができます。
職場の上司の方や先輩後輩、同僚とうまく関係を築いていけば、楽しいこともきっと待っているはずです。
これから先のことに希望を持って、頑張ってください。
期間工前はバイクで放浪の旅をしていた
普通科高校を卒業後、進学も就職もしませんでした。
なので正社員としての職歴はありません。
高校卒業後は大手家具屋で二年ほどアルバイトとして勤務していました。
引っ越しを機に前アルバイトをやめ、新聞配達と喫茶店を掛け持ちしながら半年働き、興味のある仕事をしようと思いアウトドア店にアルバイトとして一年ほど実家から通っていました。
期間工になる以前はバイクで放浪する旅をしていました。
北は北海道宗谷岬、南は沖縄県喜屋武岬、と日本全国を縦横無尽に走り回っていました。
3ヶ月で100万円稼げる魅了的な仕事を発見
高校を卒業後、アルバイトをしているときにもっと高時給の仕事はないものかとインターネットで検索していました。
そのときに、「3ヶ月でお給料100万円貰った」という記事を見たのがきっかけで期間工という仕事を知りました。
3か月で100万円貰えるなんて魅力的な仕事があるのなら、機会があればぜひやってみようと思っていました。
期間工のことを知ってからなかなか機会は訪れなかったのですが、旅がひと段落した時に貯金が少なくなっており、これから冬が訪れることを考え、期間工をやるなら今だろうと思い、応募しました。
面接場所が実家に近い日野自動車に応募

私はインターネットで期間工募集のサイトを探し、お給料や待遇などを調べました。
すでに期間工をしている人のブログや、掲示板などの書き込みを見て、実際に勤務している期間工はどのような待遇でどのような仕事をしているのかをチェックしていました。
私が日野自動車を選んだ理由は、面接地が実家から近い日野自動車本社で行うことや、勤務先の工場の多くが実家から近い関東にあり、規制も難しくないことなどがありました。
それらを考慮し、最有力候補になったのが日野自動車でした。
期間工をするなら「アウトソーシング」は絶対!
情報収集をしているとき、すでに期間工をしている人のブログ記事に、「期間工をするなら派遣会社のアウトソーシングを利用するべきだ」というものがありました。
アウトソーシングを通して期間工に応募すると、10万円の生活補助金が貰えるそうです。
それが本当なら、ぜひとも派遣会社を通して就労しようと思い、アウトソーシングの期間工募集を見ました。
そしたら変わらず生活補助金で10万円貰えるとのことが書いてあり、アウトソーシングを利用して応募致しました。
筆記テストはないが面接と健康診断があった
企業選考会の面接では、難しくない簡単な質問をされました。
ライン作業の工場での勤務経験についてや、今までの経歴について、期間工としての勤務はどれくらいの長さを考えているのかなどを質問されました。
他にも期間工は体力的にきつい仕事であるので体力に自信があるか、心身に不安なところがないか、持病などがないかなど、身体に関する質問もありました。
筆記テストなどはありませんでしたが、他には健康診断などがありました。
走ることの多い補充係を担当することに

私が担当していた仕事は、自動車製造ラインで組み立てをする人へのパーツを供給する補充係でした。
一台一台細かいパーツが微妙に違うので、それらを間違えないように棚から取り出し専用の箱に入れ、決められた場所へ置いていく仕事です。
パーツが置いてある棚は、間違えないように取るべき場所のパーツはボタンが光り、そのボタンを押してからパーツを取るので、余計なパーツは取らない工夫がされていました。
この仕事できつかったのはパーツを取る時間が短いので、急いで箱へ入れないとならず、走ることが多かったことです。
勤務スケジュールは、平日の五日間が出勤で、土日は休みの完全週休二日制でした。
私がいた部署は日勤しかなく、勤務時間は8時か17時までが定時でした。
日によって製造数が増え、一時間ほど残業する日もありました。
寮は工場から徒歩6,7分で通勤が楽だった
私はJR日野駅から徒歩30分、JR豊田駅まで徒歩20分の場所にある「メゾン・ド・ノア 日野台」というマンションの寮を利用していました。
勤務先の日野工場から徒歩6,7分とかなり近い場所にあり、通勤はとても楽でした。
寮の間取りは六畳一間のフローリングで、ユニットバスとIH一口コンロのキッチンがありました。
玄関を入って二メートルほどの廊下にキッチンとお風呂があり、奥に進むと部屋でした。
部屋はかなり綺麗で、隣の部屋の音もほとんど聞こえず、生活しやすかったです。
同僚も先輩も女性も気さくな人が多かった
職場の上司の方、正社員の方々は7人ほどいました。
もちろん様々な方がいたのですが、基本的には気さくな方が多く、コミュニケーションも取りやすく仕事はやりやすかったです。
同僚も様々なのですが気の合う人が見つかり、昼食や夕食を一緒に食べたり、休みの日には飲みにいったりいい友好関係を築くことができました。
先輩も気さくな人が多く、話しかけやすくて困ったら聞くことができたのでとても助かりました。
部署には数名の女性も在籍していて、仕事のことで話すことが増え、次第に仲良くなり何度か飲みに行ったりすることがありました。
休日は社食が利用できないので注意!
休日は寮の掃除、作業着の洗濯など身の回りの整理を基本的にしていました。
掃除機などはなかったので掃除は雑巾で乾拭きをし、洗濯はマンションにコインランドリーが併設されていたのでそちらを利用していました。
高尾山まで近いので気軽に山登りなどもできるので何度か登りにいきました。
仲の良い同期の同僚とは日野駅周辺の居酒屋やガールズバーで飲むことも多々ありました。
休日は社食が食べられないのですが、近くに100円ローソンがあったので食事で不便することもありませんでした。
仕事になれるまでは体力勝負
実際に期間工として働いて辛かったことは、自動車製造ラインへのパーツ供給で走り回っていたので、慣れてくるまでの期間は体力勝負だったことです。
体力がつき、慣れてきてしまえば無駄な体力消費もなく、仕事も間違えることが少なくなってきたので大丈夫でしたが、慣れるまで、体力がつくまでが大変でした。
あまり満足できなかったことは、もう少し長く働いておけばよかったと思うことです。
三ヶ月という短い期間でやめてしまったので、せめて半年ほど働けばよかったと思っています。
日野工場での人脈は「人生での大きな財産」
期間工として働いてよかったことは、やはりお給料が他の仕事に比べ多くもらえたことです。
確かに仕事は体力がついたり慣れてくるまで大変ですが、その期間を乗り越えてしまえば、仕事内容が大きく変わるわけではないので、長い期間続けていけば賞与ももらえ、お金をたくさん稼ぐことができるのでいいと思いました。
他には、普通に生活していたら出会うことがないであろう、他県や違う職種で生きてきた人たちと出会えたことも嬉しかったです。
そんな人たちと仲良くなり、飲みにいき自分の知らない世界の話を聞いたり話している時間はとても楽しく、自分の人生で大きな財産になったと感じています。
仕事は体力勝負でありとても大変ですが、お金が稼げる以外にもいろんな人と出会えるのが期間工のよさであると思っています。
契約満了前に辞めた人も複数人いた
私の周りに契約満了前にやめた方は複数人いました。
噂話が多く確かなことはわからないのですが、女性トラブルを起こしてしまった方や、同僚や上司と揉めたりした方、金銭のやりとりでやめてしまった方などいろいろな噂を耳にしました。
いろいろな噂のある人が配属された時、上司から「いろいろな噂があるのであまり近づかないように」と話を聞いたりもしました。
契約満了前にやめてしまった方と話したこともありますが、特別変わった人だと感じることはあまりありませんでした。
みんな何かのはずみでトラブルに発展してしまったのではないかなと、私は考えています。
期間工で稼いだお金はバイク旅の資金に
期間工の契約満了後は、次の仕事を探すために実家に戻りました。
最初はすぐに期間工で貯めたお金でまたバイクで日本を放浪する旅に出ようと思っていたのですが、まだ三月では寒く旅をするのには早かったので、暖かくなるまで派遣会社に登録をして働くことにしました。
その後二ヶ月ほど派遣先の携帯販売ショップで働いていました。
二ヶ月ほどのお給料を旅する資金の足しにして、再びバイクに乗って日本全国を放浪する旅に出発しました。
ダイキさんが稼いだ日野の解説記事はこちら!
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